大きなレモンについて

マメとクルミというのをやって3ヶ月あまり。

来てないヒトにこのことを説明するのは、

小春日和を感じたことがないヒトに小春日和を説明するようなもんで。

あんまり意味がないと思います。

土曜の朝、渋谷店で、僕の話を熱心に聞く、30人ばかり。

傍から見てれば、あれはなんのカルト集団かしらって、

眉をひそめられても、おかしくない。

それくらいの想像力はボクにだってあります。

なんだか、宗教じみたことをやってるちょっと気も悪いカフェ、

と思われたって、言われたって、

すいません、あたしたち気も悪いかもしれませんよね、

としか言いようがないんですね。

ただ、ボクと影山くん(クルミドコーヒーを始めたヒト)と

なんとなくそのとき思いついたことを話す回、

をやったほうがいいよねと始めてみて、

1ターム(計10回)で辞めるつもりだったんですけど、

やってみた結果、4月から第2タームも続けてやったほうが

なんとなくいいと思ったんです。

理由は説明できませんけど。

ボクはマメヒコのスタッフの女の子に、ことあるごとに言ってるんです。

「マメヒコはざっくりだからね、ざっくりやらなきゃダメだかんね」。

これがどういう意味なのか、って考える機会があったので

ここに書き留めておきます。

ざっくりとは、どういうことか。

それは大きなレモンを見てわかったんです。

先だって瀬戸内海の島にレモンを採りに行ってきたんですけどね。

あるレモン畑に、ある一本の木があって、その下に、

ダチョウの卵ほどの大きなレモンが落ちてたんです。

びっくりしてなんですかこれ?と畑の主人に聞いてみたら、

「あー、採らんで投げとったレモンはおーきーなって、勝手に落ちるけん。

そいつは落ちとったまま一年近く、木の下におったもんじゃないかのー」。

って教えてもらったんです。

このレモンは採られないまま、勝手に大きくなり、その寿命をまっとうして、

勝手にぽとりと木から落ちた。

ボクらの知ってるレモンは商品としてのレモンなわけで、

都合のいいサイズに木から切り落とし、商品として完成させてるものなんですね。

レモンの商品価値はその大きさにあるんですよ。

大きなレモンは皮が厚くて、身が小さく扱い使いにくいからでしょう。

けれど、ずっと木にくっついたまま、自然に寿命をまっとうすれば、

レモンはいくらだって大きくなるモンなんですね。

商品として完成させるには、はさみを入れて

死なせなきゃだめだということなんだと知りました。

そう思ったらね、マメヒコの完成度なんかやっぱりどうでもいんだな、

と納得してしまったんです。

マメヒコの完成度を高めるというのは、そんなにむずかしくないと思うんですよ。

とっても美味しいケーキとか、すごく見栄えのする店員とか、

ものすごい雑味を除いた珈琲とか、素晴らしいインテリアとかね。

そんなことを用意するのは容易い。

ただし、ただしですよ。

それは「静」であることが前提となってきます。

つまり「静」に近づけばどんなものでも完成度は上がるわけです。

言い換えれば完成度を上げるというのは、

限りなく「静」に近づくことを選ぶことなんであって、

さらに言い換えれば「動」から離れることなんじゃないかとボクは思うんですね。

そして「静」というのは、死ぬということだと。

いや違うかな、死ぬということが「静」なのかな。

とにかく、完成度を求めるというのは、死ぬことを求めることだと思うんですね。

あっ。

なにも哲学や禅問答とかそういうことを言いたいわけじゃないんですよ。

ただ何となく大きなレモンを見てそう思ってしまったんです。

街に完成度の高いビルをいっぱい作る。

会社に完成度が高いヒトをいっぱい採用する。

国会に完成度の高い政治家を当選させる。

そんな「死ンだもの」を集めたって、

その瞬間は素晴らしいかもしれないけど、

そン名完成度の高いモノばかり用意したらその先どうなの?

そもそも人間は生き物という不完全なものなのに。

って、何となく思ってしまうんです。

それより。

ボクは「動」であり続けることを選択したいわけでね。

イヤ、継続的に完成度を求めるのがヒトとして大切なんだよ、キミ、キミ。

そりゃね。完成度の定義はそれぞれ違うでしょうから、

ボクがなにをか言わんやは、

勝手に解釈してくれて構わないンですよ。

今年は映画を作りたいんだよねって、みんなに言ってます。

実は映画ってわかりやすいから言ってるけど、

商品としての映画でもなんでもなくて、

マメヒコだけで見られる映画もどきみたいなモノを作れたら面白そうだなって

思ってるだけのことです。

こんな話しをすると、

それは傑作なんだろうな?  面白いモノを創るつもりなんだろうな?

って、すぐ聞いてくるヒトがいるんですけど、

たぶんそれは、金をかける以上、元が取れるんだろうな、

って心配してるのかなって思います。

でも、そんなこと知らねーよっていうのがボクの正しいところだし、

そんなの目指してどうすんのかなっていうのが、ボクの心の中なんですね。

前回の芝居の前後も、

種々、酷評してくれた親切・意地悪なヒトがいっぱいいたんです。

そういう酷評は作り手の陰で言えばいいんであって、

評価する権利が我々にあるとか何とか言って、

なんだかデリカシーねーの、って思いながらニコニコ黙って聞いてました。

毎日違うメンバーでお店を開けていれば、

瞬間瞬間の完成度、瞬間風速の評価なんて意味がないわけですよ。

だからカフエ マメヒコはざっくりやって、

なんとなく続けていければそれでいんですよ。

たまにピントがずれたヒトがいたって構わないし、

とにかくあんまりこだわらないどこーよって。

大きくなりすぎて、誰にも見向きもされずに、

勝手に木から落ちた、その大きなレモンに、

「マメヒコはざっくりと、やっていけばいいけん。それしかできんじゃろが」。

そう言われた様な気がボクはしたわけで、

それを皆さんにお伝えしておこうと、ちょっとだけ思いました。

ただいま春に向けてスタッフも募集しています。

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