エトワール・ヨシノに訊く1

私はこの店で、40年ずっと、シャンソンを歌ってきたのよ。
シャンソンて言ったって、フランス語の歌じゃないのよ。
アタシが見たこと、感じたことそのままに、
アタシの言葉でずっとここで歌ってきたのね。

ただそれだけのことだけど、それに人生の殆どを使ってきたの。

歌がうまいとかさ、下手だとか。そんなこと関係ないのね。
それひっくるめてアタシの歌なの。
それをどう受け止めてくださるかは、お客様が決めることなんであってね。
アタシは、ただ感じたままを歌うだけ。

でも、もうね。

この夏で、店を閉めるんですから、それもおしまいよね。
喫茶エトワールとともに、エトワール・ヨシノもおしまい。

閉めてからのこと?それは、わかんないわね。
アタシは歌を続けたいと思ってますけど、
お客さんの前でお金を頂戴して歌うか、それは、わからない。
そういう機会があれば、もちろん、歌うわね。

 

アタシは横浜で育ったの。

おとうちゃんとおかあちゃんは、小さな喫茶店で、アタシはそこで育ったのね。
港で働くヒトを相手にした喫茶店でね。
コーヒーをサイフォンで淹れて、一杯200円て、そんな店だったのよ。

お酒は出さないの。それはおとうちゃんが下戸って言うこともあったけど、
ホントを言えば、ママが酔ったお客にモテるのが嫌だったのね。
おとうちゃんは、あれで案外ヤキモチ焼きだったと思うの。

あのおとうちゃんに、なんでこんな美人が?って世界の七不思議の一つだったからね。

ママは、女優にならないかって、映画会社のプロデューサーに口説かれるような美人だったの。
あたし?フフ、あたしはザンネン。おとうちゃん似よ。
ママは真っ白で、ほんと、白菊みたいにきれいだった。

店はね、ほんとに忙しかったのよ。
あさは6:30に港湾のヒトが入ってくる。夜は酔った後のお客が、コーヒー飲みに来たわ。
私もずっと手伝わされたわよ。人雇う余裕なんかないもの。
勉強なんかする暇ないわよ。

ナプキンを折ったりね、トーストのパンをスライスしたり。
当時は出前というのもあったから、
近くの会社にアイスコーヒーなんかを自転車で届けるのよ。
ラーメン屋のおかもちに、アイスコーヒー入れてね。
クリームソーダなんてアイスが溶けたら怒られるから必死よ。

家族はもうずっと仕事。家族で、のんびりするなんてなかったわよ。
運動会のときも親は来れないから、校長先生の横でゴザひいてお弁当だった。

最期、おとうちゃんは、あっけなく死んじゃったからね。
家族そろってのんびりすることは叶わなかった。

それが後悔と言えば後悔ね。おとうちゃんとおかあちゃんに、ゆっくりさせてあげたい。
いまでもそう思うわよ。

ささやかな楽しみと言ったらね。歓楽街のボーリングに行くこと。
何年かに一度、台風が上陸するでしょ。

すると港湾は封鎖になるから、そうすると店開けてても誰も来ないの。
そんなときは、おとうちゃんが、「いくぞ」ってボソって言うの。

伊勢佐木町のボーリング場は夜中までやってたから、
そこに店を早シメしてタクシーで行くのよ。

ママは、2ゲームだけよ、今日はなんにも稼いでないんだから、って何度も言ったわ。
タクシーの窓から見える、ネオンの光景は今でも忘れないわ。
嵐で誰も歩いてないネオン街は、私たち家族のものになったような気分になったの。

でも決まってね、ボーリング場に行くと、知り合いのお客がいるのよ。
酔っぱらってるからママとお近づきになりたいのよ。
それで、結局みんなでやることになるのよ。
せっかく家族水入らずのチャンスなのに。

ママはお客さんがいるとね、愛想のいいお店の顔になっちゃう。それがとっても寂しかったのね。

店も最後の方は、家賃もままならない感じで。
わたしは、大学に入れさせてもらったから。
フランス文学を専攻して、フランス語の通訳のアルバイトをしたりして。

稼いだお金はずっと店に入れてたの。
もういい加減、お店閉めよう、っておとうちゃんに何度も言ったのよ。

だけど、おとうちゃんは最後まで、うんて言わなかった。
男の誇りだと思ってたの、くだらないと思った。
でも店は始めるときより、閉めるほうがずっと大変だったのね。
いまはわかるけど、ずいぶんひどいことも言ったわ。

だから絶対に喫茶店なんてやりたくないと思ってたわけ。
早く結婚して、子どもたちにケーキを焼いてあげたり、絵本を読んであげたり。
子どもたちに寂しい思いをさせない、素敵なお母さんになりたいと思ってたの。

それが、どうして。
喫茶店を始めちゃってんだから、血は怖いわね。
おとうちゃんは、パリのカフエみたいな、文化を発信するお店をやりたがってたらしいのね。
現実は、安いシャガールの偽物が、一枚飾ってあるだけの店だったけど。

 

(次回に続く)

 

井川啓央
井川啓央
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