‘一尾のイワシ’と’イワシ’について

先日、桜の樹の下で、マメクルの収録をしました。
クルミドコーヒーもお客さんが来ない日が続いてるらしく
もちろんマメヒコもお客さんが来ないわけで。

さて、いよいよ、お店は潰れるのかしらねと互いに苦笑しながらも、
影山くんは「例えばスタッフの、誰一人、見捨てることなく本当は助けたい」と言いました。
誰も置いて行きたくない。
誰かを選び、置いていくという判断をしたくないんだと。

それに対し、ボクはこう言いました。

「誰も置いていかないなんて、そんなのは無理。
頑張って走る。
そのときに一緒に走りたいってヒトとだけ、ボクはこの荒波を乗り越えていく。それしか無いんじゃないの」と。

そして、ボクはこう聞き返しました。

「じゃあもし。もしね。
誰も置いていきたくないとしてね。

それで店そのものが継続できなくなったとしたら。
もしもの話だけど、どうする?」と。

そしたら、「そのときは、店をたたむしか無いのかもしれません」。

ボクがよく言うたとえ話ですが。
川岸にボクらはいて、向こう岸に渡らないと家族が全滅するとする。
そのとき一艘の船があり、それには乗れる人数が決まっている。

そのとき、ボクはどうするのか。

「ボク自身が犠牲になるよ、だからボクをここに置いて、みんなは向こう岸に渡っておくれ」というのか。

「ボクは船に乗る。悪いが、おまえはここに残って犠牲になってくれ」というのか。

ボクは後者のほうが、ラクじゃないと思います。
仲間を見捨てたという傷を、一生背負わなくてはいけない。
あいつは仲間を裏切って自分だけ助かった、といわれることを背負わなくてはいけない。
そういう一か八かの選択を迫られない社会、
そんなのそれがいいに決まってますけど、
生きていれば、イチかバチかの選択を迫られることはありますよ。
いやむしろ、本来、自然とは全員が生き残るようには作られていないんですね。
イワシはたくさんの卵を生み、「一尾」の犠牲を払って、「イワシ」そのものを生存させているんですね。

「一尾のイワシ」だって犠牲にしたくない。
そんなことを考えていたら、イワシそのものがいなくなってしまいます。

家族や会社、学校、国家。
なにがしかの集団に属している以上、好むとも好まざるとも、
その集団の生存戦略に応じるほかないはずです。

いま、ボクは一か八かの選択が迫られています。

「勇ましいようなことを言うじゃないか。けど、もしその一尾が、
おまえの家族だとして、それでも、おまえは一尾のイワシを差し出すのか」
「うん、ボクは「一尾のイワシ」より「イワシ」を残すほうを取る」

果たしてそのとき、ボクはほんとにそうできるだろうか。

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