例えば。
「貧しくたってヒトは幸せになれるんです。心持ち次第です」、
なんてボクたちは声高に、いつも健やかに言ってきましたが、
ほんとはお金がなければ、ろくな人生が待っていない、それが現実社会でしょう。

「法の外側にこそ幸せがあるんです。
法の内側に縛られることはない。好きなことをやって生きていけばいいっ」、
なんてボクたちは声高に、いつも健やかに言ってきましたが、
ほんとは法の内側に守られてる、寄らば大樹のほうが安全で楽な人生を送れる、
それが現実社会でしょう。

ボクたちの、青臭い会話を聞いてるヒトの中には、
こんな風に言うヒトがいるかも知れない。

「あいつらは、大層なホラ吹き野郎だ。
あいつらの言ってる甘い言葉に騙されるなよ。
夢を見るなよ。
騙されて泣きを見た可愛そうなやつを、
オレはたくさん知ってるぞ。

世の中甘くない。あんな風に生きていたら必ずしっぺ返しが来る。
大ボラ吹きを信じるな。
大ボラ吹きを信じるな」

ボクはその雑言に反論はしないし、ほんとにそうだよなー。
嘘つき野郎ね、たしかにそうねー、と思ったりします。

ただね。
ただですよ。

「目の前に見えてることだけを信じるんだ」

それもまたウソです。
そんなウソを信じていいんでしょうか。

あなたは目の前に見えていることだけを信じておられるとして、
では、あなたの人生に、希望はあるんでしょうか。

うむ。
そりゃそうでしょ。
希望なんてものはありませんわね。
だって、不確実性のなかに希望があるんですから。
うむ。
希望なんてなくても生きられる。
たしかに、たしかに。
あなたはそうでしょう。

けれど、少なくとも若い子たちはそれで平気ですかね。
食うものに困らなければ、希望なんてものがなくても平気でいられますか。
そりゃ子供の将来は、あなたのように、大して面白くもないただのおとな。
かもしれませんよ。

けれど、それはあなたはそうなんであって、子どもたちがみんな、
つまらないおとなになるとは限らないでしょう。

自分がつまらないおとなだからと言って、
「目の前に見えてることだけを信じるべきだ」、
「あいつらはウソつき」と非難するのは心外です。

ボクは少なくとも確信犯でウソをついている。
あなたのように、ほんとうは怖がりで、
だから希望なんかこの世にはないと、さもありなんとウソをつくおとなより、
よほどマシだとボクは思っていますが、さてどうなんでしょうか。