不在の対話 / 桜の木にバナナの実より


 ボクより少し若い彼は、まだマメヒコが三軒茶屋にしかなかった、そんな頃のお客さんでした。黒縁の眼鏡をかけ、その奥で、世間を斜めに見つめている、色白な知的な青年でした。  彼は店に立ち珈琲を淹れるボクを見つけると、いつもなにか話したそうでした。ボクも時間ができると、彼の隣に座りました。  話し出すと、マメヒコのことを批評しました。彼はマメヒコの批判ではなく、批評をしてくれました。


 「なぜマメヒコはランチをやらないのか」
 「なぜマメヒコにはケーキセットがないのか」
 「なぜマメヒコの珈琲には酸味が必要なのか」

 そういうひとつひとつを、やっている当のボクが考えもしえない切り口で朗々と説明するのでした。ボクは彼の批評を聞くたびに、(こんなにも自分のことを、マメヒコのことを、わかってくれるヒトが、世の中にいるんだ)と、胸がいっぱいになりました。後にも先にもこんな風に分かり合えるヒトは彼のほかにいないと思う。心の奥の座敷でお茶を酌み交わせる人間に出会えることは、なにものにも代えがたい幸福なのです。ほんとうに、ほんとうに、マメヒコをやってよかったと、彼のおかげで思えました。
 一度だけ彼と店の外で会いました。彼の知人が鎌倉に古い和式の邸宅を持っているというので、案内されたのでした。

「井川さん、いつかマメヒコはこういうところで、やってみるのも面白いですよ。井川さんならできそうな気がするなぁ」

 瓦屋根に立ち昇る入道雲、首の周りにべたつく海風、百日花の赤い花。雲をつかむような夢物語でさえ、彼が言うと現実味がありました。
 その時ぼんやり。ヒトはいつか必ず死ぬんだなぁ、そんなことを思いました。眩しいあの夏を境に、彼は突然、店に来なくなり、そしてボクの前から消えました。なにか気に障ることでもしただろうか。まるで思い当たりません。詮索し始めると、寂しいよりも不愉快になるのでやめました。そして、ボクとマメヒコは、あれからずっと忙しく、余裕などまるでなかった。
 その彼からボク宛てに便りが来ました。何年も、何年も経ってからのことです。

*   *

 井川さん、お久しぶりです。長い間連絡せず、また突然連絡したりしてすいません。
 井川さんのところによくお邪魔していた頃、井川さんも少し記憶にあるかと思いますが、 会社が突然バタバタしました。
 そして、そのちょっと後ぐらいに僕は顔に病気を患いました。
 親からも、面影ないわね、と言われるぐらい顔が変わってしまいました。そして、知り合いと会うのを避けていました。
 その後、父が以前勤めていた会社に転職、治療に努め、四年ぐらいかかって最近やっと元の顔に戻ってきました。
 Webサイトを通じてですが、井川さんのご活躍を拝見させてもらい、当時、二人で話していたことを次々と実現していて、さすがだなあと尊敬しています。
 久しぶりに井川さんのカフェの噂を知人から聞き、懐かしくなり、メールした次第です。
 本人はまだまだだと思っていますが、他人からは顔のことを何も言われなくなったので、精神的にはだいぶ落ち着いて、希望が持てるようになりました。良い人生勉強になりました。(笑)
 お話させていただいたのは短い時間でしたが、僕も井川さんのことが大好きだったので、なんでこのタイミングに病気になったんだろうと、ずっと残念に思ってました。
 こうしてメールすることさえ、重い階段を登る感じです。書き始めてから今日送るまで、このメールはずっと「下書き」で保存状態にありました。
 今後も陰ながら応援させていただきます。

*   *

 彼らしい簡素な便りでした。水臭い手紙でした。でもその淡白さに、ボクは何度も泣きました。寂しくて、悲しくて、やりきれなくて、彼がかわいそうで、世の不条理に、ボクは何度も泣きました。
 ボクは二度と彼と連絡を取ることはないと思う。そして話をすることもないでしょう。もうボクらは充分、語り合ったんだ。ボクは、マメヒコを続けることで、不在の彼と話をするしかない。ボクらはそういう運命だったのです。