マメヒコの井川とクルミドコーヒー、
胡桃堂喫茶店の
店主影山知明さんとの対談です。

(影山知明)
井川さんはぼくの人生を2008年~
あらぬ方向へと導いてくれた
張本人であります。

以来、井川さんとはよく会い、
よく話をしてきました。
一緒に話をした時間を集計するアプリでも
あったなら
ぼくの人生においては井川さんがダントツの1位。
その長さはもちろんですが
その中身の濃さ、気付きの多さ。
それは、井川さんが、自分とはまったく違う
タイプだからということも
大きく作用していると思います。
ゆえ、今の自分の大きな部分は
こうした井川さんとの関わりによって
できていると言って、過言ではありません。

マメクル2020 #15/群れが生き残るには

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夕暮れの公園で、ボクと影山くんは仲間を切る切らない、
そんな物騒な話をしています。

ボクらのカフェも、先行きは暗い雲に覆われています。
そんななかで、影山くんはこんなことを言います。

「のちの世のために、
もしくは、より多くの人が幸せになるために、
ボクはあえてそこは鬼になって、
その道を行く、
つまり、
誰かを切り捨てる必要があるとか、
誰かの命を奪う必要があるとか、

そういう決断力っていうんですかね。
そういうのがボクにあるかって問われると、
ちょっと自信ないんです。

鬼にならなきゃ、本当の意味で結果は出せない。
もちろん、世の中なんか変えられない。
そんなことは、どっかで分かりつつ、決断できないですね。

どうしても、ボクの八方美人の性格が、
せめぎあってしまう。
決断できなくなってしまう。

一人として悲しむ仲間を作り出したくないって思っちゃう。
仲間を切る、切らないの葛藤で、選べなくなっちゃうんです」

というようなことを言います。

ボクは、群れが生き残るためなら、
仲間を切ることは厭わない、というようなことを言ってます。

もちろん、仲間を切る、切らないの二択しかないような、
局面にならないことが一番でしょう。
そしてまた、その局面になったとき、
果たしてどんな選択をするかは、そのときになってみなければわからないでしょうし、
所詮はタラレバのはなしです。

命ほど尊いものはない、
だから、何人の命であっても粗末に扱ってはいけない。
そんな正論に、誰も反論できません。

んーー。

話はそれますが、
ボクが思うに、自然界というのは、
群れが生き残るためなら、仲間を切ることは厭わない、というものだと感じています。
(切るとか切らないという、選択の意思をそもそも持たないでしょうけど)

そんなことを色々と考えてみたりします。

正論というのは、正論なだけに、反論しにくいものです。
だからこそ、正論を実行に移すときは、
多くの思慮が求められることだと思います。

正しいことを、正しいからと、何も考えずに実行すれば、
なにか誤る気がする。

そう考えるのが、街場の理屈ではないでしょうか。
時と場合で正しさなんてものは、ころころと変わるものだ。

少なくともボクはそう思います。