優しさと強さの両輪で

ヒトには、優しさと強さの両輪が必要ですね。

女性の良さの1つは優しさだと思うんだよね。うちにいるスタッフの子たちも全員優しいなと思う。

優しいけれど弱い。優しいと弱いが同義になっちゃう部分があって、自分を通せないことがあると思うんだよ。

MAMEHICOは、紙コップは使わない、チェーン化もしないとか、世の中の流れとは違う形で通しているところがあるけど、それをしていくには、優しさと強さの両輪を持つことが大事。

ボクは強いという漢字をしたたかと読むのが好きなんだけど、したたかであるということが求められる。柔らかさ、しなやかさとしたたかはどこか通ずると思っているので、しなやかな感じが欲しいよね。

優しさと強さは両立するはずで、優しいと弱いが同義になるのは本当の優しいとは言えないとも言える。

優しいというのは優れているとも読ませるわけで、それは字の如く、優れた知性がないとどうしても優しさと強さというものは持ち得ないし、どこか賢さがいるというのかな。喧嘩で言えば、あえて引く強さ。どこか引けるというのは幼稚ではない、大人であることが求められると思うけど、自分の中に大人を飼う、そういうものを持つ。

清濁合わせ飲むことも優しさと強さという気がするよね。

雑草は環境が例え悪くても、そこの土の養分が足りなくても、そこになんとか自分の居場所を見つけて、種を存続させていく強さがあるよね。植えてもないのに生えてきているよねっていう雑草のしつこさ、したたかさはいいなと思うんだよね。

したたかと図々しさは紙一重で、そこには知性、優れたものの見方、フラットなものの見方が必要なんじゃないかと思う。英語やピアノを学ぶというようなスキルではなく、そういうことを大人になっても学べるようなところは必要だよね。

仕事場も含め、当事者意識を持って学べるようなところがあれば、たくさんの経験、失敗の中で優しさも強さも培われると思う。そういうところがあるとヒトは、なかなかに見事な花を咲かせるという気がしますけど。

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