問題の潜在化と顕在化

この間ね、事務所にあるおひつの蓋の部分が壊れたんですよ。

即座に、じゃあ新しいおひつを買おうということになったんだけど、あるスタッフが三茶店で使っているおひつが小さいから、三茶店用に大きいおひつを買って、現在の三茶店のおひつを事務所に回したらいいんじゃない?と言ったんだよ。

それを聞いたスタッフは、あぁ、確かに。三茶店では炊いたご飯が全部入らなくて困っていたと言う声を上げたんだよ。

こういうことってよくあるんだけど、なんでそのことをもっと前に問題として口にしないのか?

他にも、メニュー替えで、和え麺を今回のメニューから外したんだけどね。麺の在庫を抱えたまま賞味期限を迎えたら勿体無いから、また新しいメニューで次から和え麺を復活させるという指示をボクが出したら、スタッフはみんな、はいわかりましたと。

すると、これもあるスタッフが、ちょっと待てと。

今、ランチプレートを出している一方で、お弁当も出している。このお弁当がまだ認識されてないので動いてない。そのおかずが余っているところに、和え麺を加えたらさらにおかずが余っていかがなものか?と、言ったので、それはそうだね、となったんだけどね。

構造的な視点を持っているのはいつもおんなじスタッフ一人で、他のスタッフたちは、すでに存在している問題に対しての意識が薄い。

日本の教育では問題を言語化する訓練を受けてない、もしくは、私なんかが言っても変わらない、自分は担当じゃないとか、下手なこと言って責任が生じたらどうしよう?などと、無意識の問題を顕在化させることを諦めていたり、我関せずということになっているスタッフが非常に多い。

問題を顕在化させるためにはそれを言語化して口でみんなに説明しなきゃいけない。

人間は顕在化した問題にだけしかアプローチできないんだよ。少なくとも集団でやっている以上はね。

これをどう改善するか?

すでに潜在化している問題を顕在化する努力、工夫が必要で、自分が不都合、違和感を言葉にして共有するということ。これが大事だけど、それがほぼないよね。

潜在的にある問題を顕在化することで空気を乱したと思っちゃうのかな?

日本的な同調、空気を読むことを躊躇わせているのかな?

こういうのは何回も訓練して、潜在化している問題を顕在化することをしつこくしつこく言うしかないですよね。

Archive
カテゴリー