「応援してもらう」について

小さな街の昔ながらの喫茶店が、またひとつ閉店を迎えてしまった。
「こういう喫茶店って落ち着くよね。なくならないで欲しかった。さみしい」
と若者がスマホ片手に次々と投稿する。そこに喫茶店のマスター。
「店の雰囲気を好きだと言ってくれたのはありがたかったが、結局はチェーン店の手軽さや価格に流れてしまう現実が、店の存続を困難にさせたんだ」と店を片付けながらぼやいてしまう。

長年の疲れと時代に抗えなかった苦々しい思いが、彼にそう言わせたんだろう。
こういう残念なことがあちこちで、喫茶店に限らず起きているんだろう。
そして、もっとこれから起こるんだろうなと思う。
時代が変わる中で、どうしても起きるこういう残念なこと。

ボクも喫茶店のマスター?ではあるので、彼の苦々しい思いはわからないじゃない。
だけど、マスター。同業者だからあえて言うけど。

「残酷だけど、あなたが時代の変化に乗れなかった部分があったのも事実です」

戦前戦後のものがなかった時代じゃあるまいし、安くてそこそこ美味しい珈琲が街に溢れている現代に、珈琲の味の良さだけで勝負しても、そりゃ勝ち目なかろうと思う。
昔ながらのメニューのままで太刀打ちしても難しかろうと。

マスターはもっともっと「応援してもらうこと」に、気を配らなくちゃいけなかった。
考えるべきは「応援」についてだったと、ボクは思うんです。

「経営が苦しいから金銭的に応援してください」
なにも、そうやってお金をせびれと言うんではない。
そんなことすれば、いまいるお客さんからも敬遠されたりするでしょう。

だけど。
古い喫茶店には必ずその店だけの物語が、あったはずなんです。
チェーン店では語りようもない、その物語を語ることをどれだけしてきたでしょうか。
雑誌に取材されたときだけ、語ったんではないでしょうか。
なぜマスターがこの喫茶店を立ち上げたんでしょうか。
当時この街はどんな街だったんでしょうか。
店を続けてきたなかで、どんな苦労があり、どんな素晴らしい思い出があったんでしょうか。
物語には事欠かないはずです。
そうしたマスターや店の背景や物語を伝えれば、「応援しがい」を感じてもらえたんじゃないかとボクは思います。
そうしたら店は失くならずに残ったかもしれない。

もちらん誰にでも「語る」って、簡単にできることじゃないことはわかっている。
だけど「語らなかったばっかりに」、せっかくの場所がチェーン店に押されて失くなってしまうのは、常連客だけじゃなく街の文化としても残念ではないですか。

ボクも桐生の紫香邸を引き継いだ以上、大いに「語って」残していきたい。
「語りかたがわからない」って相談に来るかたには、そのお手伝いもします。

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