かつて、お客さまのなかに、80歳を過ぎた人間国宝の能楽師の方がおられました。
その方とお話させてもらう機会がありまして、
「ここまでやってこられたんだから、もう十分じゃないんですか」
なんて、失礼、生意気をボクは言ったことがあったんです。
すると。
「ホッホッホッ、この歳になりましてね、やっと見えてきたなと言う感じがあり、楽しいのですよ」
なんて、笑ってらっしゃる。
「はあ」
はて。どういうことなのかしら、自分なりに考えてみた。
そもそも、「初心忘るべからず」という言葉、能楽の大成者、世阿弥の格言です。
その著書を紐解くと、「成長する」とはなにかと書いてある箇所がある。
要するにだな、
「成長とは、なにか新しい技術を身に着けたり、知識を得たりすることじゃないのだよ。
そもそもあんたのなかにある、成長の種、そいつをね、芽吹かせることが成長なんだな」
みたいなことを世阿弥はおっしゃってる。
ボクもスタッフたちに、
「インストールするんじゃないよ、アンインストールするんだよ」
なんてことを言ったりします。
そんなイメージなのかしらね、と思ったりする。
「初心」の「初」という字、あれね、左側が衣、右側が刀でしょ。
昔は着物を他人に譲るとき、一度縫い目を解いて、生地を裁いて仕立て直して渡した。
だから「初」は「布に刀を入れる」という意味。
初心忘るべからずっていうのは、定期的に仕立て直せよってことなのかもしれません。
とにかく、いつも仕立て直せ。
糸をほどいて裁けよと。
衣食住の暮らし、周囲の自然、自分も弟子も、いつも仕立て直しなさいと。
あのですね、これって、とてもめんどくさいことです。
自己否定の連続を迫られますから。
「いまのワタシのまま、なにか新しく買い足したいの」
というヒトが多いなかで、これはキツイですよ。
頭でわかってても、腹落ちして理解するのには修行がいりますね。
たとえば病気になったとき、名医を探して診てもらう、良い薬を処方してもらって直したいっていう考え方も、仕立て直しとは違う気がします。
そうじゃなくって、医者に行かないように、日々を仕立て直し、健康を維持することが重要だ、これが世阿弥の目指すところじゃないか。
そうやって日々の仕立て直しを続けたとき、「ホッホッホッ」があるのかもしれません。
MAMEHICO、カフエ マメヒコは7/1で19周年を迎えました。
みなさまの日頃のご支援のおかげです。
誠にありがとうございます。
縫い目を解き、刀を入れ、仕立て直しを続けたとき、なにが見えるのか。
毎年、7/1には「初心」を考えるのです。