無表情のわけ

ヨシノの舞台をやってるとお客さんの反応をダイレクトに感じる。

ボクはなるべくお客さんを置いていきたくないと思ってやっているけれど、無表情のヒトが一定数いるよね。

2時間、こっちが飛んだり跳ねたりしても、微動だにしない。そのヒトに影響されて周りも静かになっちゃう回もあるしね笑。

この無表情のヒトって、いったい何があるのかな?とボク自身関心が高くて、いくつか、そのわけを分析してメモってる。

1つは、拒絶される不安。

自分の感情や本音を見せると否定されたり、傷つけられたりするんじゃないかと思うために無表情にしている。

次に、評価に対する懸念。

他人の目や反応をすごく気にして、こう思われたくないということから、常に評価を気にしているヒト。

ナルシストなヒト。

ナルシストって自己愛が強い。この、自己愛は裏を返せば自信の無さ。この脆い自己愛を守るために動じないヒトを装う。防衛本能からああなってるのではないかと。

あとは、自分がどういう気持ちでいるのかについて、およそ鈍感でわからないヒトもいる。自分の感覚が不安定。

次に、親密性の回避。

本当の自分を知られることが極度に怖いから、距離を置き、表情や言葉を抑圧しちゃう。多分、過去に本当の自分を知られて避けられた経験があるのかな。

あとは、無価値観による自己表現の抑制。

どうせ、他人に言ってもわかんないという、自己開示そのものに意味を感じていない。

自分の中身を守るために、自己開示しない。

その方が楽だと思い込み、刷り込まれたヒトは、大人になっても無表情ということがあるよね。

これは子ども時代に子どもらしくできなかったということで、一番苦しいのは本人だと思う。学校でも社会でも、もうちょっと笑ったら?とか、いろんなことを言われて、余計傷ついて、さらに自分を傷つける。自分を抑圧するのも暴力、それが弾けて他人を抑圧することもそう。

ありのままの自分を開示するのは怖くないという気持ちを持つには、1つは優しくされること。ただ、このヒトの前では開示していんだというヒトを仮に見つけたとしても、そのヒトの前でしか開示できない。そこには依存が生まれてしまう。

どこかに強さというものを持って、自立する。

そうしないと、この無表情からは抜け出せないという気が、ボクはします。

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