選挙があるのは、

この前の衆議院選挙は、大きく自民党が票を落としましたが、変化の時だなという気がしますよね。

政治家とか経営者の多くはメンタルは強い。でも、それが必ずしも社会にとって良い方向に働くとは限らないと思うんだよね。というのも、強靭なメンタルの持ち主はとにかく、自己肯定感が強い。自分ではなく他者に責任を押し付けたり、他人の気持ちがわからない。だからこそ強靭なメンタルと思われがちなわけ。

ホントに強いのは、クヨクヨしてるけど、それを跳ね除けてるヒト。

仮に何かやって失敗しても自分の責任じゃないと思える、面の皮が厚いヒトたちが政治家になる資質があると言えるわけだよね。

ヒトの顔色を気にしてクヨクヨしてるヒトは政治家には向いてない。それは経営者も一緒。そういうヒトたちが政治を担っているとすると、常に自分本位の判断、他者への共感を欠いた行動、そういうことをしがち。

選挙中に良いことを言っても選挙に受かっちゃえば、あとは知らないよというマインドって、普通の社会ではあり得ないよね。

でも、そういうヒトが政治家になるわけで、日本も、アメリカにおいても、そういうヒトたちを持ち上げた民衆も悪いんじゃないかなとボクなんかは思うんだよね。

やっぱりリーダーにはメンタルの強さ、面の皮の厚さはもちろん必要。なんかあれば叩かれる立場にいるわけだから。

でも、他人を思いやる優しさ、みんなの気持ちがわかる、共感の心を持つリーダーが良いとボクなんかは思うよね。

選挙って、やっぱり、政治世界において、他者への共感、自分より他人のことを思っているヒトのことを当選させに行くためにあるんじゃないかと思うんだよね。

強いメンタルを持ちつつ、他者への共感を持つ、そういうヒトを選ぶのが理想。

ヒトの気持ちなんか知ったこっちゃないよと言うヒトが政治家を続けるひとつの資質だとすれば、あんまり長くやってる政治家は良くない。

普通のヒトが普通に政治に参加することで良識のある議会制民主主義が存続できる、つまり道徳感のある政治というものを実現するためには選挙が必要でしょうね。

まあ、これも1つの理想論ではありますけど。

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