シリーズ 『おやつが好き』6

井川「なにかおやつについて思い出ない?」

私の家は幼い頃からおやつは買ったものばかりだったし、
せいぜい作ってくれたといっても簡単な蒸しパンで。
とくにおやつの記憶はありません」

井川「そんなことないと思うよ。思い出してみて」

「みんなみたいにそんなお母さんがケーキを作ってくれたとかないもの。
家は手作りのお菓子などなくて、
料理も簡易的なものが当たり前で。
もの心ついた頃は自分の家のご飯があまり好きじゃなかった。

だからいつしか家でご飯を食べなくなって、
とても外食が増えていったの」

井川「そうね。
みんながみんなお母さんが料理上手で
子供に手作りケーキを熱心に作るというわけじゃないね。
というより、ここにいる人たちのエピソードが実はとっても
恵まれているものだと思った方がいいかもしれない。
小さいときの体験というのは確かに大きくものを言うけど、
そんな君が、どうして、マメヒコで働こうと思ったの?」

「それは一言では言えないけれど。

ただ、こういうことがあったんです。

大人になってから出会ったある人にね、
本当に美味しいものは、素材がいいシンプルなもので、
それを使って自分で作るのが一番楽しくて美味しい。と」料理を作るのは
ずっと手間のかかるものだと思ってたから。

もちろん手間をかけた分だけおいしくなる料理もあるけど、
とっても簡単に美味しいものも作れるんだよって教えてもらったんです。
それを知ったのはもう二十歳を過ぎてたかな。
でも思えば、その衝撃があったから、いまマメヒコにいる気がする」

井川「うん」

「それを聞いたとき、とっても衝撃で。

井川「大人になって初めてそういうことを知って、だからこそっていうね。
でもね。
いくら親がケーキを作らないと言ってもね。
子供ながらにやっぱりおやつは食べていたと思うの。
よく思い出して。
何をおやつとして食べてた?」

「・・・」

井川「・・・」

「・・・漬け物」

井川「漬け物ね。うんうん、どんな漬け物?」

「まだ小学生にもならないうちから、
おばあちゃんと漬け物を食べてました。
おばあちゃんについて行ったおばあちゃんの友達の家でも
漬け物は必ずあって。
おいしいからおかわりも頂いていた。

そうそう。
野沢菜とたくわん。

漬け物は毎年、親戚も総出で「お菜洗い」というのをみんなでやって、
そうやって野沢菜を漬けてました。

雪の降るような寒い日にみんなで。

小さいときから高校生位までほぼ欠かさず私は手伝ってて、
冷たい水で「お菜洗い」をした気がする。
お菜は毎年つけ具合や仕上がりが気温や塩梅で
入れる塩で違ってくるんです。

洗い立てのお菜を漬ける瞬間と、
数日後、おばあちゃんが「水が上がったよ」という声は今でも思い出します。
今年のできはどうかなと、お菜を食べるのがとっても楽しみで。

お菜はね、気温が温かくなると酸っぱくなってくるんです。
でも、酸っぱくなっても決して捨てないの。
今度はそれを、しょうゆ、砂糖、みりんで甘く煮付けて更に食べる。

私はその甘辛いのも好きだった。
もうすぐ温かい日が来るよっていう一つの合図だったな」

井川「なんかこれこそが、おやつって言う気がするね。
そもそも厳しい肉体労働で疲れたから体に、
糖分を補給したり、飢えをしのぐためにおやつってあったんだよね。
だからその土地、その土地であるものを食べる。

あるものというのは余ったものだよね。

つまり採れすぎるもの。
いや採れ過ぎるっていうんじゃないな。

季節に一度、旬にしか採れないんだから、
来年まで持たせて食べきりましょうっていうね。
上手に保存して、それを食事やおやつに生かすというね。

ついこの前まで、食べ物というのは生きるためのもので、
どれを食べようかと選べるようなものではなかったんだから。

おやつといっても、ほんとうにいろいろで。
そういういろんな境遇の人たちがどういう縁か今ここに集まってお店をやってる。
袖ふれあうのも他生のの縁と言うからなにかあるんでしょう。

マメヒコやクルミドコーヒーが
誰かの何十年後の記憶に残るおやつを作れたらいいな、
そんな店でありたいなということで、お開きにしましょう。

ご静聴ありがとうございました」

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