ありがとうについて

夜の仙台でくたびれて、ホテルのテレビをぼんやりとつけた。

夜のニュースが流れてる。

復興のため現総理大臣ではあまりにだめだめ過ぎるから、
辞めろ。なぜ辞めないんだ。あんた辞めると言っただろーが。
と罵詈雑言。
なにもそこまでと言うことまで、国会がしゃべってる。

あんなもん見て子供はどう思うんだろうか。

子供っぽいことを思ったので書くことにする。
子供っぽいことに怒りだす人はここから読まなくていい。

総理大臣は誰かに「ありがとう」と言われたのかな。
陰で毎日言われてるのかな。
ふと、そう思った。

延々と延々と、町そのものが流されている。
それだけじゃなく、原発汚染まである。
その未曽有の自然災害に、いまの総理がなにをしてくれたかについては一切合切無視で、
なにをしなかったか、なにをし間違ったか、だけに永田町がキュウキュウしてる。

おかげさまでした。ありがとう。となんで総理に言わないのか。
言うに値しない男だから!! というのはあまりに空しい。
違う誰かが総理なら感謝していた、なんてことがないことは、
今の幼稚園生だって知ってる。

道を挟んでこちらはへっちゃらで、こちらは町ごとないよというのが、
海岸縁にパッチワークのように続いている。
まったく海は地震は無作為で単純なものなどなにもない。

ここまで複雑だと、当の本人のお気持ちなど、
もう当の本人じゃなきゃ、わからないはずで、
被災者とか、被災地とか、ジッパヒトカラアゲで、
「東北可哀想」、なのは、
そのほうがわかりやすいから、
そうしたほうが便利な誰かのプロパガンダだと思う。

政治ってそんなもんでしょ。
みんな現場は関係ないと思ってるし、
実際、あんなのなんの頼りにもなんないしね。

そうね。ボクもそう思う。
けどね。
ありがとうも言われずに、そういうことに失望もせずに、
それでも総理が頑張れる、頑張ってるとしたら、
そんなのは人間ではなくロボットかアンドロイドかなんかだし、
それとも最初から最後まで頑張ってるふりしてるだけで
ほかの思惑が総理の気力を支えてるんじゃないかと思ってしまう。

なにをやってもありがとうと言われない。
お店でもそれが当たり前になってる。
失敗ばかりを指摘され、どんなに頑張ってもありがとうとまったく言われない。
もちろん上から下に対してもそうだけど、
下から上に対しても同じ。

これはイジメではないか。
ジャイアンがのび太をいじめてるという高温ではない、
誰から誰へかわからない低温のイジメ。

リーダーとは孤独なことに耐えられること、
どんな罵倒にも蛙の面にしょんべんであることが、
まずまっさきに求められる資質だとすれば、
そういう資質を持つリーダーとは、
よほどのひとじゃない限り下に威圧的にしてしまうものだと思う。

社会の上が悪い下が悪いと言うより、
仕組みが悪いシステムが悪いと言うより、
誰ひとりリーダーなんかになりたがらない
マメヒコの強かな若い女の子たちを見てきて、
自分サイズの頑丈な穴を掘るのは賢い選択だよなと感心する反面、
同時にそれは君たちの墓穴でもあるけどねと思う。

ありがとう不足のヒトたちが、国中にごっそり居る。
それは相当、残酷な社会だと思う。
あしたからありがとうとお互いに言いましょうねとか、
そんなこと言ってるんじゃないけど、

ありがとう。明日も引き続きお願いねって、
ありがとうございます。明日も引き続きお願いしますねって、

言った方がよほど仕事ははかどる。
違うかしら。

片付けなきゃいけないものが
あんなにもあんなにもあんなにもあるって言うのに、
みんなの回りにもこんなにもこんなにもこんなにもあるって言うのに、
どうでもいいことにキュウキュウしているテレビをぼんやり見ながら、
なんだか部屋の壁紙のように青々しい気持ちになってしまった。

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