アメイジング・グレイス? 

お店が大変な時期に、トモは一人撃沈して、
毎日遅刻はするわ、無断欠勤もするわで、
彼女の株価は急落、
やがて家から一歩も出れなくなり、
挙句、連絡も取れず、
さぁいよいよ、ニッチもサッチも行かなくなって、
お店を辞めるほかに策はないとなっていたところに、
家族やスタッフたちの気づかいが合って、

「あぁ、わたしは一人で何もかもやろうとしていたけど、
それは間違っていた。
何もできない自分を責めていたけれど、
みんなの中の一人として、できる限りのことをやればそれでいいのだ」

ということに気づき、まるで嘘のように、持ち直したのでした。
(個人的なこともあるのでかなりはしょりましたが、概ねそういうことです)

アメージング・グレイスという賛美歌があって、
それはニュートン牧師が、
多くの危険、苦しみと誘惑を乗り越え、
やっと本当の幸せを実感したという歌なんですけど、
詳しくは調べてもらうとして、

[mamehico url=”https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B9″]

やっぱり、ノンペンタラリン、平穏無事に暮らしていたら、
本当の幸せというのは実感しにくいに決まっています。

本当の幸せをつかむために、
苦労したほうがいいとか、
苦労した人ほど本当の幸せをつかむんだとか言ってるんではありません。

いろんなものに溢れていて、今の日本の若いヒトたちは、
なにもかも恵まれているようでいて、大切な機会を失っているとボクは思う。

自分で考えてやってみて、やってみれば撃沈するものですよ、
それでも愚痴らず、日々模索しながら、
泣きながら、なんとか一歩ずつできるようになる、
そこまで見守る寛大さが、社会に大人に、
まったく足りていないとボクは思う。

アメイジング・グレイスが足りてないんだと思うことがある。

ボクはクリスチャンではないのでちっともわからないけど、
所詮、神様なんていうものは、
それぞれの気持ちのなかの偶像に過ぎないわけで、
その偶像を信じるためには、
絶望を経験せねばならぬということでしょう。

さて、そんなこんなで、
いまは公園のカレーを少しずつトモに任せるようにしています。

どう?うまくやってる?と聞いたら、朝返ってきたチャットがこれ。

絶望なんかしないで済むならしないほうがいいから、
お金を稼げる道を堅実に歩のか。

希望をもって生きていれば絶望はするものだから、
神様をどこかで信じるような心を持つのか。

朝から、色々と考えちゃうのでした。

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