「井川さんに訊く パートⅡ」

人生のほとんどは、
自分で決められることじゃないよね。
ただただ運だと思うね。
運ですよ、ウン。

健康にいくら気をつけたって、
長生きしないヒトはいるし、
その逆もそうだね。
学校の成績が良いのだって運だし、
美人に生まれるのだって運。
理解のある親の元に生まれるのだって、
無理解の親に生まれるのだって運。

建設的な思考を持っているのも運なら、
自暴自棄になって
短絡的にヒトを批判したり、
非難したりする性格であるのも運だね。

だから、こうなればこうなりますよ
なんて、全部、嘘なんだよ。
そんなこと決められないよ。
ボクにどうやったら
カフェがうまくいきますか?
なんて聞かれたって、
そもそもうまくいってるか怪しいし、
もちろん、日々のことは
色々工夫したり、努力したりは
してるほうかもしんない。

けど、そもそも始めた
元手はどうしたんですか?
って聞かれたら、
たまたまテレビ番組を作る会社を
やっていて、銀行に借りれた。
もともとマメヒコ始めるために、
会社やってたわけじゃないんだから。
ただの運だよね。

成功したヒトの本には
そこまでのプロセス、
とくに逆境を乗り越えたことが、
ドラマチックに描かれてあるけど、
そもそもその元手は
どうしたとは書かれてない。

それはほとんどが
運みたいなものだから、
あえて書いても仕方ないし、
運がよかったですなんて書いたら、

「なんだあいつ、努力したように言ってるけど、
たまたま親が死んでその遺産で始めたのかよ」
となったりね。

やっぱりお金出して買う本は、
夢を買いたいもんね。
いまの自分がうまくいってないのは、
その方法を知らないだけで、
どこかにうまい方法論を見つければ、
成功できると思いたいから、
自分の理想のヒトのはなしを聞いたり、
読んだりしたいんだよ。
出版社だって、
売れなくたっていいです、
本音書いてくださいなんて、
言うわけないしね。
啓蒙本なんてだいたいそんなもの。

だから、うまくいくのも運だし、
うまくいかないのも運。
クヨクヨしたところで
どうにもならないんだから、
ボクはいつまでもクヨクヨしない。
そう決めちゃった。

自分にできること、
できないことわかってるから、
叱られても反省なんかしない。
あっ、そうですか、
ごめんなさいねって感じ。
いいとこだけ見てください、としてる。
いいとこだけ付き合ってください。
少しはいいとこあるわけだから。
悪いところ直そうと思って
努力なんかしたところで、
ボクは進歩なんかしないからね。
そもそも良いところと
悪いところは表裏一体で、
悪いところ切除したら
良いところもなくなっちゃった、
というところがある。

この回覧板だって、
フィーリングが合うヒトが
読んでるんだから、
合わないヒトは読まないだけ。
だからウンチャラパ―とか書いたって、
誰も文句も言ってこない。
文句言うヒトはそこで、
「このバカの文章ひどいな」って、
読むのをやめるだけだから。
ラジオもそうでしょ。
「こいつは気にくわない」
ってそれだけだから。

日本には言論の自由があるし、
相当ひどい誹謗中傷でも、
それに対して、
言われたほうは傷ついて、
言葉の暴力だとか言ったって、
法律で捕まったりしないんだから
傷つくだけ損。

人生というのは選択の集積だから、
どっちを選ぶかで、
ヒトとなりが出るよね。
いつも面白そうなほうを
選択するヒトと、
いつも安全なほうを選択するヒトでは、
なんとなくシルエットが違う。
なんでもやってみるヒトと、
やったヒトのはなしだけ
聞くヒトでも違う。

世の中すべては運なんだって聞いて、
「じゃあ、好きにやらせてもろおう」
ってヒトと、
「なにやったって運なんだから、頑張っても仕方ねーや」
ってヒトとでは、
そのシルエットが違うと、
ボクは思ってるってこと。

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