過剰な愛に対し


東北のとある豚カツ店にたまたま通りかかったので入ってみた。
人知れない場所にもかかわらず、行列ができていたので、
気になって入ってみたのだ。

初老の男の人が二人。
黙々と店を切り盛りしていて、
店の面構えからメニューに至るまで、
すべてに筋が通っている。

こんな店は珍しい。
流行るわけだ。

出て来る料理は、どれも過剰なほどのサービスである。
ご飯も、おみおつけも、キャベツの千切りも、
味もよく、そして量も多い。

接客も平身低頭であり、
客がたくさん待っているのに、
大きなテーブルには相席にさせず、
ちょこんとお客を通す。

お客はこの店で、受け止めきれない愛を受け取る。

こういう受け止めきれないほどのサービス、
愛を受け取ったとき、

赤の他人からもらったその過分な愛情に対して、
多くのヒトは照れてしまい、それを隠すために、

「この店、超コスパいい」と、
あえて品のない言い方をして、
嬉しさを隠しているのかもしれないなと、
豚カツを食べながら思った。

マメヒコをやっていると、
たとえば食べきれない量を出していたとしても、
皿に食べきれず戻ってくることが続けば、
やがてそれは、適切な量に落ち着くようになるものである。

混んでくれば、容赦なく、
相席にさせたりするものだ。

ところが、それは、いっときは経済的な辻褄が合ってるように見えて、
やがて合わなくなる。

愛のないところに、ヒトは寄り付かないからだ。
しかしただただ、愛情を注ぎ続けることは、
とても難しい。

店を長く続けているところは、
どこか過剰な愛を持っているものだ。

さて、マメヒコは過剰か?
かつては過剰だった。

しかし、いつの間にか無難なんだよなー。

混んでいても、ゆったりとした席案内をさせていたこともあった。
でも入れないで帰るお客さんを大勢目の当たりにすれば、
スタッフはどんどん相席でもさせて、入店させてしまうものだ。

今一度、とんがらなくてはダメなのだ。


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