迷い路


いままでずっとマメヒコのサイトで、なんか色々書いたりしてたのね。
それをつい最近、このサイトで書くようにしました。

なんでikawayoshihiro.comを始めた理由について、
ここに書こうと思います。

このサイトに移ったから言うわけじゃないけど、
マメヒコの渋谷店、かつての渋谷店、パートⅢ、飯店、
そして公園通り店。

どれも売上が安定しなかったことが遠因で、
このサイトを立ち上げたように思う。

どういうことかというとね。

いまでこそ静かな宇田川店も、
かつては食べログで4.3だったこともあって、
良いときは、もうほんとじゃんじゃん、
お客さんが来たんです。

けど、そういうときも合ったけれど、
その後、震災があったり、新しいビルができたりで、
いつもそれに翻弄させされました。

一度には、立ち退きにあったこともあったりね。
街が渦のように変化していくなかで、
マメヒコは、ボクは、
その頃からいてくれるスタッフは、
洗濯機の中にいるみたいに、渋谷の渦に回されっぱなしの、
十年だったと思う。

ボクは若い頃から、田園都市線沿線に住んでいたので、
学生の頃はなにかといえば渋谷に通っていて、
社会人になってからの仕事場がNHKだったこともあって、
渋谷に対して、個人的な思い入れがありました。

そういう点から言うと、
三軒茶屋は馴染みがなく、
マメヒコを始めるまで、
三茶に降り立ったことはありませんでした。

そんなわけで、
かつて活気のあった渋谷にマメヒコを作ったわけですけど、
ボクの若い頃と、渋谷は、
大きく変わってしまったのかもしれません。

さっきまで、公園通りから宇田川に戻ってきたとき。
NHKホールのコンサートの帰りなのか、
似たような価値観の女の子がごっそりと坂を降りてきたの。

この女の子たちはどこ行くのかと見てたら、
ひたすら、まっすぐ駅へと向かっていくのね。

もちろん誰も目の前のマメヒコに入る気配もない。
街そのものに気持ちがなく、
もしかしたらこの人達の多くは、
リアルな街はポケットのなかの、
スマホの一部でしか無いのかもしれないと思った。

ボク自身もそうだもの。

どこか知らない魅力に乏しい街に来たら、
やっぱり食べログなんかを見たり、SNSを見たりしちゃう。

下調べしちゃうんだよね。
それで自分の価値観に引っかかるものが見つからなければ、
その街を完全にスルーするしちゃう。

ちょうど震災があった頃。

パートⅢをオープンして間もないころと重なって、
すっごく大変だった。

震災、そして計画停電、そういうことを経験して、
ボクらもなにかを発信しなければいけないんじゃないかと、
影山と話したことを覚えてる。

集客するうえでも、なにも発信しなければ、
この街に存在しないも同然だという危機感があったんだと思う。
実際、店を開けても誰も来ないきつさは、
経験しなければわからない。

そんな日々は、オーナーのボクもキツイけど、
ただ待っているだけのスタッフはこの上なく、きつい。
責任者として、そのときに何も手を打たないのは、無責任な気がした。

それからだ。

ボクも影山も何かを発信するようになったのは。
ボクは嘘はつけない性分だから、
その場その場で、言いたいことをいってきた。

そのことをどう受け止められようが、
そんなことは気にしなかった。

ただ、マメヒコをやりながら、
やっていること、感じていることを書いただけだ。

ブランディングだとか、
マーケティングだとか、
そんなことを気にしたことは一度もない。

それが結果的に、ボクという個人の、
自己表現の場になってしまった感があることは、少し残念だった。
そういうのがやりたいわけじゃなかったから。

けど、なんとなく、そうなってしまったんですね。

若い頃、感じのいい街を、散歩するのが楽しかった。
原宿の裏、ブラームスの小道なんてものを歩くだけで嬉しかった。
クリスティで、紅茶とケーキを食べるだけで、
よそゆきな感じがした。
たとえば花泥棒に入って、
珈琲が美味しい、お菓子も美味しい、
静かで、店員は黙々と仕事をしていて。

こんなお店をやるヒトはどんなヒトなんだろう。
きっとセンスのいいヒトに違いないな。
そういう想像をすることが楽しかった。

NYから帰ってきたら、
渋谷にも原宿にもそういう店はことごとくなくなってしまっていて、
そういうものをやってみたい、そんな思いでマメヒコを始めたんだ。

それが、今みたいな形のマメヒコをやりたいとは、
微塵も思ってなかった。

だから、マメヒコのホームページに、
ラジオが更新されることも嫌だった。
ホームページがあることさえ、嫌だった。

よく瀬尾さんが中島みゆきの話として言うんだけど、
作り手が作ったもの以上になにかを伝えることは余計なことだと。

それはほんとうにそうで、
伝えたいことはマメヒコを通して伝えるのが、
筋だと今でも思う。

ゲーテもやめて、食事会もやめて、
静かで真面目な喫茶マメヒコを作ることだけに専念しなければいけない、
そういう思いがいつもありました。

それでひとまず、
マメヒコの外でこうして書くことにしたわけです。

もちろん、アカウントを変えたところで、
傍から見れば、何にも変わっていないのだけれど。

カフエはその街やその時代が作るものであって、
オーナー個人の思いで作るものではないんだと思う。
時代とともに儚く消えていく、
それを黙って受け入れることも喫茶店の魅力なのかもしれません。
ボクが好きだった店がすべて幻になってしまったように。

バタバタして、みっともない生き方をしてるなと、
穴に入りたくなるような気持ちでいつもいます。


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