ひょんなことからマメヒコを経営することになって、まぁ、こんなに苦労するとは思わなかったけれど、それなりに楽しくやっています。
ただ、日々、みなさんの体の一部になるであろう食べ物や、たくさんのヒトたちと触れるなかで、この街に感じることがあります。
それはときにいまの常識への違和感として感じながら、毎日ボクはマメヒコをやっている。
それはラジオでも、ずっと言ってきたことなんだけど端的に言えば。
「この国は、あまりにお金中心になりすぎている」こと、そして。
「行き過ぎた均一化社会が、普通のヒトたちの生活や気持ちを蝕んでいる」こと。
です。
そういう社会をボクは変えなくてはならないと思ってる。
もちろんボクがマメヒコの片隅で、たとえ本質をついたことをいくら叫んでも、そんなものはちっとも社会に届きゃしないのよ、ということぐらいわかってる。
ボクにだって分別はあるので。
社会は徐々に良くなっている、未来は明るい、と信じてはいるけれど、ボクとマメヒコの半径数メートルには、だらけた日本が横たわっている。
昨日の角田さんとの「食べよ、」の会でもそのことを塩を通して話した。「食べよ、」っていうのは、「個」が「孤」独になってしまった時代に、みんなで「食べよ、」を取り戻そうという意味でもあるし、ボクが良いと思ったものはみんなに食べさせたい、「食べろ」の意味でもある。
公園通りの店内で、湯豆腐を塩で食べてもらいました。
用意した豆腐は、きちんとした豆乳で昔ながらの製法で作った豆腐だったから美味しかったと思う。
参加した高校生は、ゲーテ先生も見に来てくれたんだけど、
「今の大人は、『ボクたち大人がきちんとしたものを作るから、君たち子供はそれを消費してくれればそれでいい』、というものが多い。このまえのゲーテも、今日の塩の話も、マメヒコは全部、『君たちはもっと考えなくちゃダメだ。君たちの時代だろ』という風に言われている気がして、それが言い方は変だけど面白いと思う」
と言ってました。
高校生の方が、しれっとお札を舐めてる大人より、ずっとまともだと思う。
ボクやマメヒコはまともなのか。
次回は4/13です。砂糖について話します。
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