タコスおばちゃん & 黒豆おばちゃん

メキシコのタコスは店のかたわらで、その場で粉をこねて伸ばし、店員が焼いている。
そのほうが合理的だからそうしてるんだろう。そもそも発酵生地を焼くパンよりも、粉を水で溶いたりこねたりしたものを鉄板で焼く、たとえばクレープやお好み焼きのようなもののほうが、誰でもできて、そして美味しい。
こういうものは、どこの国にも、ご当地文化に合わせて、必ずある。そしてボクはそういうものが好きだ。

ここメキシコでは、タコスやトルティーヤ。それを焼く係を、年増の女性が担っているのをよく見かけた。タコスおばちゃんだ。

写真の店は店頭におばちゃんが陣取り、パフォーマンスのようにトルティーヤを焼いている。
それに釣られてたくさんの客が店に入っていく。

店内には、たくさんの男性店員が働いている。掃除するだけのヒト、切るだけのヒト、盛り付けるだけのヒト、接客するだけのヒト。たっくさんの店員が、わいわいとやってる。

ちょっとすると蜂の巣の中を覗いているようだ。
店員はみな女王蜂と働き蜂のようなのだ。すごい数いるが、なんとなく統制が取れている。あぁ、いいなーと思った。
ボクがやってるマメヒコとは、ぜんぜん違う。

マメヒコでは少ないスタッフ、少数精鋭のチームで店を回していくしかない。
言っちゃ悪いが、こんなに無尽蔵にスタッフを入れることが、・・・できない。

いまの日本は人手不足だからというよりも、低賃金で働くヒトがいないのであり、そして賃金を上げざるをえないわけだけど、すると必然的に働くヒトを減らすしかないという構造になっている。(街場のボクのやってるカフエの場合であり、お役所のようなところでヒトがじゃぶじゃぶ余っている、という話も聞きます)

お金は単純な数字合わせだから、そんなに難しく考えることはない。
家賃が高い、材料費が高い、お客さんの支払いは渋い、一人あたりの人件費が高い、さて、それで回すにはどうしたらいいでしょうか。
チーン、人を減らすしかありません。

だけど。
飲食店や、サービス業できめ細かくやろうとしたら、少人数でやることの限界がある。
そもそもきめ細かくやらなくていいサービス業なんてあるんだろうか。

製造業のように機械化できるわけでなし。そもそも誰かに喜んでもらいたくてサービス業に就くわけだから、きめ細かくやらなくていんだよ、なんてことにならない。

はて、メキシコに来て思うのは、スタッフもお客もたくさんいるに越したことはないということ。

こちらの店員は一人ずつは、きめ細かいサービスをするわけではない。だけど、いざ束になれば、誰かのミステイクを、誰かがカバーするようには十分なってる。だから、メキシコのホスピタリティーは、日本のそれより、心地いいと思った。

たとえば、こんなことがあった。
ある店員にオレンジジュースをオーダーした。しばらく待つ。あれ?どうやら忘れてるっぽい。まぁいいや。ほかにもブラブラしてる店員がいるから、別な店員に、ジュースどうした?と聞く。暫く待つ。あれれ。また忘れてるっぽい。また別な店員に、ジュース来てないんだけどと頼む。

それから、ほどなくして、3人が、それぞれ遅くなってゴメン。
と言って、オレンジジュースを持ってくる。
3杯のジュースがボクのテーブルに届いたことになる。

「ちょっと。こんなに飲めないよ」と笑うと、
「おう、そうか、飲めたら飲んでくれ」と笑いながら、テーブルにジュースを置いていく。「????」

かえりしな、少し多めのチップを払って、「ありがとう、悪いことしちゃった」と言うと、「えっ、なんのこと?」と彼らは笑っていた。お店はサービス業であり、エンターテイメントだとすれば、これに勝るサービスはあるだろうか。

「そりゃあーた、こないなサービスされたら、マメヒコはかないまへんわー」

これからヒトの代わりとして、テクノロジーがカバーしてゆく。それが日本の生きる道だという。
だけど、それでできることなんて、たかが知れてると思う。ジュースを何度か催促すると、3杯になって出てくるなんてサービスをアルゴリズムからプログラミングできるわけがない。

もっと無駄をなくせないの?と、ボクは店員にいつも言ってる。みんなもそうしなくちゃダメだよねと、してる努力をさらにしてくれる。

でもそんな努力そのものが、とてもナンセンスな気がしてならない。言っといて何だけど。仮にそんなことして徹底的に合理的になったとして、それで面白みや余裕がなくなったら、そもそもカフエをやっている意味なんかなくなってしまうのだから。

マメヒコもいつか、入り口でおばあちゃんがうとうとしながら、大鍋で黒豆を煮て、店内は老若男女のスタッフやお客さん、いつまでもガヤガヤとだべっているような店にしたい。
そういう余裕のある店にボクはしたいと思っているのだ。

「それはね、理想です。いまの日本でそれをやるのは無理です。まぁ、話としては面白いですけどね」と苦笑するなら、棺桶の中に入っても、勝手に苦笑してろと思う。

「そんな風にできたらいいね」と思うヒトがいたらできることだとボクは思う。

もし、どうしてもそれができないなら、それができるところを探せばいいだけだ。そして、ついてきたいスタッフがいるなら、そこに連れてく。そしてみんなが働ける、その日まで「黒豆おばちゃん」をやってもらおうと思っている。

そんなに突拍子もない話しかね?今日もたくさんの「タコスおばちゃん」が、タコスを焼いて喜ばれているのですぞよ。

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