生まれて一番美味しいサラダを、メキシコで食べました。それはメキシコのイタリアンカフェででした。
ルッコラの上に、茹でたビーツとカッテージチーズが乗っている。ただ、それだけのものだけど、こんなに美味しいサラダは生まれて初めてです。味わいからセルバチコかと思ったけれど、葉の形からこれはルッコラです。
なーんて書くとね、みんなすぐ。「えっ、食べてみたーい」、とか言っちゃうけど。
実際連れてきて、食べさせてあげてもいいけどね。食べると、ふ~んて、そっけないリアクションだから、連れて行かない。
ボクはカフエを東京で経営しているので、このサラダには到底かなわない、あぁ、美味しいと感動するより、こういうものを自分のお店で出せないことに悲しくなった。
それはなぜか。
ヒトの手間がこのサラダにはすごい込められており、それは今のボクらにはできないからだ。
この暖かい気候のメキシコで、鮮度のいいルッコラを常に用意するには、とても難しい。
冷蔵設備も日本より芳しくないブラジルで、この鮮度のルッコラが店で出てくるのは、いまさっき取ってきたばかりだからだろう。それもこの近所で。
そういうことが東京で、できるのか。
きっと東京ならこういうことだろう。
温度管理をしっかりとしたトラックで東京近郊から一旦は、都心の倉庫に集めて、それを注文に応じて順次出荷すると。
取れてから、早くても二、三日かかるから、こういうルッコラの味にはならない。
値段が高くなるうえに、なんとも物足りないものになってしまう(これは好みの問題でもあるけれど)。
粗野な味のルッコラも、日本の種や気候だと、味もぼんやりする。(水耕栽培だからでしょう)
日本のルッコラと、今まここにあるルッコラを食べ比べればその味は、全く違うはずだ。この鮮度と味があれば、サラダはシンプルで十分に美味しい。
ボクたちが去年、クロカンに添えるよもぎ白玉団子を作ったことを思い出した。
あれを作るためにどれだけの手間がかかったか。
川辺によもぎを取りに行き、それを洗い、さらにゆで、そしてすりつぶし、白玉に混ぜ、オーダーが入るたびに、こねて、丸めてゆでる。
これも、スタッフが休みに河原に出て、さらに、お客さんにも、手伝ってもらったからできたことだ。
それは春恒例のたんぽぽシロップも同じことだ。(どちらも今年やりますよ)
「あら、道端のよもぎやたんぽぽを使うなんて、材料費もかからなくて、安上がりでいいわね」、なんて言い出すヒトもたまにいる。
こういうヒトを、ボクは拝金主義者だと思っている。
ヨモギ団子の手間を人件費でまともに換算するなら、やらないほうがすっといい。
なんでもお金で考えたら、何もしないほうがいいわけで、そういうことをしてるから、どこのお店も似たり寄ったりの、メニューと味になってしまうわけでしょう。
この鮮度と味のルッコラを集めるには、マメヒコの裏庭で育てるしかない。
そういうことをいつかやってみたいと思っている。