家を建てるにあたって

いま、月に一度のペースで小説を書いています。
コルクの佐渡島さんが、小説を書いてみたらどうですか、と勧めてくれて、
んー、はい、と、ボクはごにょごにょと言い、
それでも月に一度のイベントとして企画してくれて、それで改めて小説を書き、
それを批評されるという会をやっています。

ボクはこの会のために毎度ギリギリまで小説を書き、そしてまさに今書き上がったばかりの小説のようなものを、参加者のみなさんがお読みになって、さらに佐渡島さんや角田さんやボクが、いろいろとこれについてもの申す。

小説をお恥ずかしながら書いてみたんですけどね、あたし。

言っときますけど、なにせ小説など初めてなものですから、おかげさまで試行錯誤です。
そんなの当たり前です。

ただ、根っこからポジティブなものですから、試行錯誤ではありましたが、
自分は小説はまったく書けないということないなとわかった。

誰も言わないので、自分で言いますが、まぁ荒削りだけれど、才能は十分にあるなと、感じている今日このごろです。
ひとまず一冊の本になるくらい、続けてみなくてはねと思いました。

 

 

小説を書いてみて思ったこと。それは、書き切ることはとてもとても大変だということです。
小説を書くには紙とペンしか要りませんし、お金もかからない。

そんななかで、とにかく最後まで小説を書き切るというのは大変です。
ボクは、書き終えるまでどうなるかわからずに物語を書いているところがあるので、
とにかく終わらなかったらどうしようという不安は予想以上に強いのです。

そのため書いている間は、書いていることが楽しくなくては書けません。
建築中の建物を作っている現場そのものに楽しみを見出すことが大切なのです。

建築現場には、建築に必要なハシゴだったり、滑車にぶら下がったバケツだったり、一輪車だったり、建築に携わる多くの人夫が必要です。これらは建築現場には必要不可欠なものばかりです。

しかし、出来上がってしまうと、それは不要なものだらけです。
書き終えた自分の小説を読み直してみると、ハシゴやバケツや一輪車、そして人夫が置き去りになっているんです。

最初から片付けながら、建てればいいじゃないかと思われるかも知れないが、少なくともそんな器用なことボクには出来ない。
安全靴を履いた人夫たちの汗が、作品を創っているのだから。

現場から不要なものは取り除き、リペアしてお客さんに引き渡す、それを「直し」と呼ぶんですけど、ボクはマメヒコを通じてどんなものでも「直し」てなんぼだと思っている「直し性作家」なんです。

そうやって直して出来上がったボクの「家」は、
「あぁ、うん。そうだよな。住むなら、こういうとこがいい」という気持ちになれるものにしたい。

傾斜地に建っている木造の二階建てで、背中には雑木林が迫っていて、山の冷たい空気が下りてきて部屋に心地よい風として吹きぬけていて、
ざーっと降った雨は、家の前の静かに水が湛えている窪地にコロコロと流れて、音楽なんて流さなくても鳥や水や風のサウンドが心地よくて。

この家には良いヒトも悪いヒトも住んでいなくて、良いところ悪いところを持つ普通のヒトたちが生活をしていて。

肌の触れ合いが恋しかったり、嫉妬する自分に傷ついたり、一人の孤独に唇を噛み締めたり、みんなでいる孤独に絶望したりしながら、台所からは美味しそうな匂いがいつもしている。

そんな「家」を書きたいとボクは思う。どんな「家」も、建築現場は見事にガラクタの山です。
その片付けやら、リペアを、読者のみなさんと一緒にやれたらいんだけど、どーかなー?という会です。

7/24にやります。詳細はこちら。

 

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