【イカハゲ塾レポート】
「渋谷と代々木の地政学」前編
~境界線の上を歩くということ、境界線を越えるということ~
8月7日のイカハゲ塾は「渋谷と代々木の地政学」がテーマでした。渋谷で10年以上カフェを営む井川さんから見た、渋谷の過去・現在・未来のお話です。
最初に登場したのが、遠足ではお馴染みの「スーパー地形」というアプリ。標高差が色分けされていたり、指定した地点の標高が分かったりと、Google Mapのような道路地図とはちょっと違い、高さを意識した3D地図です。
地形を感じる3D地図アプリ『スーパー地形』https://www.kashmir3d.com/online/superdemapp/
これを見ると、東京のどのエリアが高台で、どこを川が流れていて、どの辺が埋め立てられた箇所かが一目でわかります。そして、東京の人にとって富士山の存在がいかに大きいか、富士山が東京の西にあることによる重要性についての話で盛り上がります。川が流れ、崖ができ、その左岸と右岸では、大きく住環境が異なるそうです。(もちろん、現代の価値基準では、「富士山が見えます」よりも「駅近です」「東京湾が一望できます」などの方が魅力的と思う人もいるのですが。)
ちなみに、よく「富士見坂」と呼ばれる坂を見かけますが、それは必ず東から西へ下る坂なんだとか。東京と富士山の位置関係を考えれば、ナルホド納得です。
2018年の3月から、およそ1年かけて断続的に開催してきた国分寺崖線遠足では、「スーパー地形」のアプリを片手に、実際に崖線(崖のキワ)をひたすら歩いて、上ったり下りたりしました。そのときに足を踏み入れた高級住宅街で、高台に建つお屋敷をいくつも見かけましたが、こういった歴史があるのですね。
そして、いよいよ渋谷のお話に。渋谷区は渋谷川と宇田川に挟まれたエリアで、渋谷川の元をたどると新宿御苑に行きつくのだそう。そのあたりが代々木です。
また、地図を見ると、渋谷区の大半を占める台地が代々木公園と明治神宮であることが分かります。イカハゲ塾の開催地でもあるマメヒコ公園通り店は、渋谷駅から代々木公園方面へだいぶ坂を上るので、イメージが湧きやすいと思います。そして渋谷駅は公園通りのほか、宮益坂と道玄坂それぞれを下った窪地にあります。そんな特徴を持った土地で発展してきたのです。
さらに、渋谷は江戸の町の端っこ、江戸の内側と外側を隔てる境目となった場所なんだそうです。宮益坂には渋谷川を渡る橋があり、その東が江戸の中、西は江戸の外であり、江戸を出た直後に待ち構える道玄坂には山賊がいたのだとか。(道玄坂の名前の由来は、山賊の名前だそうです。)道玄坂を上った場所には円山町というホテル街があり、いわゆる夜の街なのですが、それも江戸の外であったからこそ。街の発展には、歴史が関係しているのですね。
渋谷区を囲む渋谷川や宇田川は、現在は暗渠(=あんきょ。川に蓋がされた状態で、道の下などに流れている。)となっているので、普段はその存在を意識することはありません。(渋谷川は一部姿を表していますが。)そのことについて、井川さんはよろしくないとお考えのようです。
江戸時代は交通網が発達していなかったり、自動車や電車のような移動手段がなかったこともあり、川を越えること、橋を渡ったその先の地に足を踏み入れることは、人々にとってとても大きな出来事でした。三途の川もそうですが、当時の人にとって、川のこちら側と向こう岸とでは、世界がまったく違うのです。それは日常と非日常を隔てる境界線であったり、未知の地で人生をやり直すスタートラインであったりと、大きな意味を持っていました。それが今は「川」や「谷」が含まれる地名であっても、あまりその地形や歴史を意識することはありません。その結果、日々が平たんなものになり、次第にはハレとケの違いもあいまいになっていき、人生の起伏が失われつつあるのではないか、と井川さんは考えているようです。
国分寺崖線遠足で境界線の上から東京の景色を眺めたり、川という境界線を越えることの大きな意味を考えると、次第に点と点がつながっていきます。「昔はよかったね」ということが言いたいのではありません。変わりゆく街の中に身を置き、変わらないものの断片で過去を振り返れば、そこには私たちが忘れてはならない、大切な何かを見つけられるのではないでしょうか。
「渋谷と代々木の地政学」、まだまだお話は続きます。(後編へつづく。)