マメヒコの井川とクルミドコーヒー、
胡桃堂喫茶店の
店主影山知明さんとの対談です。
(影山知明)
井川さんはぼくの人生を2008年~
あらぬ方向へと導いてくれた
張本人であります。
以来、井川さんとはよく会い、
よく話をしてきました。
一緒に話をした時間を集計するアプリでも
あったなら
ぼくの人生においては井川さんがダントツの1位。
その長さはもちろんですが
その中身の濃さ、気付きの多さ。
それは、井川さんが、自分とはまったく違う
タイプだからということも
大きく作用していると思います。
ゆえ、今の自分の大きな部分は
こうした井川さんとの関わりによって
できていると言って、過言ではありません。
今回は、継続について話をしています。
影山くんは、「赤ちゃんみたいに学ぶ」という言いかたをしています。
ブッダは、人間の苦悩のもとである生老病死に対して、
なんらかの解決策をみつけたわけではないんですよと。
ブッタが菩提樹の下で座禅をし行き着いた、
ある悟りの境地とは、
ずっと同じ問いを考え続けること、
なのですよと。
影山くんはそれを「赤ちゃんみたいに学ぶ」という言い方をしたんです。
解決策を見つけるために、ヒトは思案するのではダメなのだと。
答えの出ない問いを、思案し続ける。
学ぶ姿勢そのものが、悟りなんだよと。
なるほどね、とボクは思いました。
なぜか。
マメヒコをやっていて、そこで起きうる課題はちっとも解決しません。
どんだけ考えたって堂々巡りなことばかりです。
(あぁ、一体ボクはなにをやっているんだろう)
真夜中の店内で一人ぽつんと、小銭を数えながら思ったりします。
しっかりしてないと無力と虚脱に、すぐ苛まれてしまいそうになるんですね。
そしてそれは、きっとはっきりとは言いませんけど、
影山くんも同じなんだと思います。
彼の目を見ればわかります。
ボクらはカフェを、
一度もビジネスだと思ってやって来なかったんです。
うそつけ、だったら金取るな、とバカに言われれば、
うるさいあっちいけとムッとしますけど、
金儲けだと思ってやらないように互いに気をつけてきたんです。
ボクにしても影山くんにしても、
お金を稼ぐだけなら、もっとほかの仕事を探したほうがいい。
甘っちょろい中年の良心です。
ただ、ボクらはその良心を捨ててまで金儲けするような、
みっともないことだけはすまい、と約束したのです。
良心なんて言い方をしたけど、そんな難しいことではない。
ボクらの子供時代、普通にあった、アバウトな人間どうしの繋がりや営み、
それをカフェを通して、いまも再現したいだけなんです。
おかげさまでした。
事業効率なんて尺度で測ったら、
さっさと退場したほうがいいボクらも、
なんとか理解者たちに応援してもらいながら、
理想に近い営みでお店を成り立たせてはいます。
ずっと考えてきてよかったと思っています。
ボクらの話ばかりしましたが、
日夜ヒトのことを優先して考え、今日も仕事に向き合っているヒトたちが大勢、
それも目立たぬところにいるのを、ボクは知っています。
そのヒトたちを傍で見ていて思うんです。
彼らは日常という単調な地平線に、
まこと鮮やかに、山と谷をデザインしているなと。
いつも自分が周りが、飽きない工夫を考え実践している。
ボクは若い頃、誤解してました。
継続とは忍耐であり、忍耐とは鈍感であり、
持っている感受性を捨て去ることなのだと。
そうか継続とは工夫なのだと思ったら、
希望が湧いたのです。
とまぁまぁ、そんなような話をしています。
継続とは、忍耐なのでしょうか?