夕暮れの公園で、ボクと影山くんは仲間を切る切らない、
そんな物騒な話をしています。
ボクらのカフェも、先行きは暗い雲に覆われています。
そんななかで、影山くんはこんなことを言います。
「のちの世のために、
もしくは、より多くの人が幸せになるために、
ボクはあえてそこは鬼になって、
その道を行く、
つまり、
誰かを切り捨てる必要があるとか、
誰かの命を奪う必要があるとか、
そういう決断力っていうんですかね。
そういうのがボクにあるかって問われると、
ちょっと自信ないんです。
鬼にならなきゃ、本当の意味で結果は出せない。
もちろん、世の中なんか変えられない。
そんなことは、どっかで分かりつつ、決断できないですね。
どうしても、ボクの八方美人の性格が、
せめぎあってしまう。
決断できなくなってしまう。
一人として悲しむ仲間を作り出したくないって思っちゃう。
仲間を切る、切らないの葛藤で、選べなくなっちゃうんです」
というようなことを言います。
ボクは、群れが生き残るためなら、
仲間を切ることは厭わない、というようなことを言ってます。
もちろん、仲間を切る、切らないの二択しかないような、
局面にならないことが一番でしょう。
そしてまた、その局面になったとき、
果たしてどんな選択をするかは、そのときになってみなければわからないでしょうし、
所詮はタラレバのはなしです。
命ほど尊いものはない、
だから、何人の命であっても粗末に扱ってはいけない。
そんな正論に、誰も反論できません。
んーー。
話はそれますが、
ボクが思うに、自然界というのは、
群れが生き残るためなら、仲間を切ることは厭わない、というものだと感じています。
(切るとか切らないという、選択の意思をそもそも持たないでしょうけど)
そんなことを色々と考えてみたりします。
正論というのは、正論なだけに、反論しにくいものです。
だからこそ、正論を実行に移すときは、
多くの思慮が求められることだと思います。
正しいことを、正しいからと、何も考えずに実行すれば、
なにか誤る気がする。
そう考えるのが、街場の理屈ではないでしょうか。
時と場合で正しさなんてものは、ころころと変わるものだ。
少なくともボクはそう思います。