マメヒコの井川とクルミドコーヒー、
胡桃堂喫茶店の
店主影山知明さんとの対談です。

(影山知明)
井川さんはぼくの人生を2008年~
あらぬ方向へと導いてくれた
張本人であります。

以来、井川さんとはよく会い、
よく話をしてきました。
一緒に話をした時間を集計するアプリでも
あったなら
ぼくの人生においては井川さんがダントツの1位。
その長さはもちろんですが
その中身の濃さ、気付きの多さ。
それは、井川さんが、自分とはまったく違う
タイプだからということも
大きく作用していると思います。
ゆえ、今の自分の大きな部分は
こうした井川さんとの関わりによって
できていると言って、過言ではありません。

マメクル2020 #22/ビールと盆踊り

むかーし、むかし、ここにビール工場があったんだよ、
という都内某所からお届けしています。

ビールが戦後、家庭に浸透した要因ってなんだか知ってます?
そのひとつは、第二次世界大戦です。

戦前は、ビールは、ビアホールやカフェで飲むものであり、
家庭でビールを飲むということはなかったんですね。

それが第二次世界大戦中の配給制度で、ビールが各家庭に配給され、
それまでビールなんか買って飲んだことが
ないという家庭にまで行き渡ったというのです。

そんなビールですが、
今では、もう当たり前のものになりすぎて、
もはや、ありがたがって飲むヒトはいなくなりました。

それは珈琲もそうですね。
飲みきれない珈琲を捨てるところがカフェにある時代ですから。

それはある意味では、とても幸福かもしれませんが、
ある意味ではとても不幸です。

当たり前の幸福は、幸福だと感じなくなる。
それが人間の悲しい性だからです。

むかーし、むかしは、どこにでもあった盆踊り。
これも、もはや絶滅しそうな感じです。
原因ははっきりしています。
地域が崩れてしまったからです。

いまの日本にもはや地域なんてありません。
あるのは、地域をなんとかしようという感傷ともいえる動きだけです。

誰が悪いわけではありません。

だって煩わしい地域のコミュニティが、
なんとなくみんな嫌で、都会に出ていったわけですし、
それでビールも当たり前に飲めるようになったと喜んだわけですから。

煩わしいところはあったけれど、地域のコミュニティがあって、
ビールはたまのお祭りにみんなでワイワイと飲む。
そんなビールはとても喉に染み渡って旨かった。

と懐古してもそんなものはもうないのです。

地域の集まりを見れば、
そこにはお茶を急須で淹れてるヒトなんていないのです。
もうみんなペットボトルのお茶を箱で買って、
ただ配っているのです。

なにを選んできて。なにを選ばないできたのか。
そしてこれから、なにを選んで。なにを選ばないのか。

それを考える必要があるのです。
違いますかね。