純文学はどう伝えるかを大事にしているもので、
大衆文学は何を伝えるかを大事にしているもの。
このように解釈している酒井さんは、
マメヒコは純文学的で、クルミドコーヒーは大衆文学的だと思ったそうです。
それに対して井川さんは、
マメヒコは甘いものだけの大衆文学ではなく、苦い薬だけの純文学でもなく、
糖衣錠のような”民衆文学”であると言います。
井川さんが伝えたいことはそのままだと刺激が強いので、
全然関係ないことでぼかしたり、面白い話で包んだりしないと、
なかなか人には届かないようです。
受け取る側は表面の楽しくて面白いところだけでなく、
最後に残る苦い本質まで忘れずに味わいたいですね。