「演出家の苦悩」について

新作演劇の稽古場。
参加者が一同に介して、
演出家のアドバイスを退屈そうに聞いている。

「みなさんは毎日、演劇のほかにも生活してますね。
日々、色んなヒトと関わり持って暮らしているでしょう。
それで楽しかった、イライラした、寂しかった。
バイトした、コンビニ行った。

そういう暮らしを送ってるはずです。
それはとても大事ですね。
大事です。

だけどその暮らしばかりになるとどうなると思います?
はい。
暮らしに絡め取られて、
自分の世界から抜け出すことができなくなります。
できなくなるというより、
自分の外に、別な世界があるなんて考えられなくなるんです。
こういうヒトを「内在的なヒト」とボクは呼びます。

では反対に、自分とは違った外の視点を持っている、
全体的な視点を持って考えられるヒトを、
「超越的なヒト」と呼びます。

「内在」と「超越」はよく使うので覚えてください。

さて。
参加されるみなさん、ここまで理解したかな?

ボクの作品に参加するのですから、
「超越的」な視点を持ってもらいますよ。

え?なになに発声法?

そんなもんは、いいの。やんなくてよろしい。
やりたければ、ボクの見えないところで勝手にやってください。

これから始まる稽古は、いつも無数のコトが発生し、
その処理にてんてこまいになります。

本番が近づくほどそうでしょう。
そして、ある勘違いが起こります。
無数のコトをうまく捌ける奴が偉い、
うまく捌いて、現場を「平穏」に運営する奴が偉い、
そんな風に勘違いするんですね。

たとえば、段取りがわかる舞台監督。
手の抜き方を知ってる衣装担当。
ギャラ以上の努力をしない役者。
つまり「内在的」な人間が偉いとなってはだめです。
たしかにそういう人間がいることで公演は「安定」します、
しますけども「進歩」はないわけよ。

繰り返します、「安定」はするけど「進歩」は無いんよ。

いいですか?
考えてみてください。

世界中で、たったひとつボクたちだけが演劇をやってるなら、
もの珍しくて見に来るかもしれない。
それなら「安定」を重視してもいいでしょう。

だけど。
演劇をやっているなんてのは無数にいて、
いつもボクらはボクら以外と比較されているんです。

「進歩」無くして「安定」無しなんです。
「きちんとしてる」なんてのは「進歩」じゃないわけです。
「きちんとしてる」なんてものを見ても、
お客は、あっそパチパチ、でおしまいなわけ。
大資本で、ガチャンガチャンと回せばいんだというとこもありますけど、
ボクらは無名で貧乏で、若いんですよ。

ですからいいですか。
参加者全員が「超越的」な視点を持ってください。
ボクは、役者が「内在的」なコトに集中しようとしたら邪魔します。
参加者全員が広い視野で、
現状を観察する視点をもって初めて「進歩」できるんです。

ただそれが、とても難しんですねーーー。

「超越的」な視点を持ってない「内在的」 なヒトは、
ごちゃごちゃとうるさいわけよ。
あーでもないこーでもないと、ぶったりもするのよ。

とにかく演劇未経験者のみなさんは、
メソッドなどそんなもんにすがらないで、なんでもやってみなはれ。
相手の役のセリフも覚える、掃除係、照明係、弁当係、
とにかくなんでも挑戦するのだよ。

そうすればあなたは、無数のつまらない問題に挫折するでしょう。
その「挫折」こそが大事なのだ。
「挫折」してやっとあなたは「かみさま」と
対話することができるのだから。

あのね、耳くそだらけの耳をかっぽじって聞いてほしんだけどさ。
ボクが言う「かみさま」ってのはね、「純粋なあなた」のことよ。
あなたが信じるべきあなたのこと、ソレワカル?

「井川的演出論」でいうとだな、
人間は挫折しないと、「超越的」な視点というのは
育ちにくいということになるのだ。

これから、世の中はどんどん不景気になって、
いよいよ立ち行かなくなるだろうよ。
でもボクはそれは良い機会だと思ってるの。

たくさんのヒトが挫折すればね。
それだけ「超越的」な視点を持つ機会が増えるということだから。

一部のヒトは現状にしがみついて、
イス取りゲームに執着するかもしれないね。
いよいよイスが無くなると、
体が動かなくなったりするかもしれない。
だけど、「超越的」な視点を持ってればなんとかなるのだよ。
演劇の経験が生きるのだなー。

ここでひとつ注意だけど、何ごとももたもたやってはいけないよ。
あらゆることにさっさと取り組んで、さっさと行動する。
どうしてだと思う?
水から茹でたカエルは逃げないということわざがあるの。
ゆっくり、ゆっくり挫折するとね、
人間は挫折だと気づかないのだよ。
だから「超越的」な視点を持ちにくいのだ。

わかった?」

一同キョトンとし、
なかには、こっそりあくびをしたりするものもいる。
みんな散り散りになると、
稽古場の隅で発声練習、柔軟体操、台詞合わせなどを始める。

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