シンガーソングライターは自分で作詞・作曲した曲を歌う際、どのように表現するかを含めてトータルで創作しています。
プロデューサーやアレンジャーが「こう歌った方がいいのでは」と促すことはあっても、表現者はあくまでもアーティスト本人。
誰かに言われるがままに歌うような人は、真のアーティストとは言えないのかもしれません。
また、アーティストへ自分のこだわりを押し付けようとしたり、指示に従わせることで自分の力を誇示しようとする人は、アーティストのことを本当には考えていないのかもしれません。
瀬尾さんは常にアーティストの創作性や美意識を大切にしているので、下でも上でもなく対等な立場で向き合い、伴走者として寄り添います。
だからこそ、アーティストは自分の表現に全力を注ぎつつ、安心して瀬尾さんの力を借りることができるのかもしれません。
<お知らせ>
番組内でみなさんから頂いたお便りをご紹介しています。
曲のリクエストやラジオの感想、日々のエピソード、瀬尾さんに聞きたいことを募集中です。
ぜひ、お便りをお寄せください
お便りは
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にてお待ちしております!!
差出人: また、書いてしまう(クセになりますね。) <shin_ishino@yahoo.co.jp>
問い合わせ内容:
瀬尾さん・井川さん
今日は、気が付いたことをお伝えしたくて書いています。
私は瀬尾さんのちょうど20歳年下になります。
何気なく、wikiで瀬尾さんを調べていて、過去の編曲を見ていたのですが、「えっ!(◎_◎;)あんな曲もこんな曲も瀬尾さん??」って驚いてしまいました。
私は幼い頃は公団住宅に住んでいましたが、7歳のころに親が新興住宅街に一戸建ての家を建てて、そこに引っ越しました。
新しい家に引っ越したのと同時に、安いものだと思うんですけど、当時のステータスシンボルの一つだったのかな?、玄関入ってすぐの和室に家具調のステレオセットが同時にそなえ付けられました。そこで中学生の姉が初めて買ってきた45回転のシングルレコードが、バンバンの「いちご白書をもう一度」でした。姉のいない時にこっそり聞いていたことを思い出します。小学生の私にはいちご白書は何となく難しかったのですが、B面の冷たい雨は好きでよく口ずさんでいました。
いちご白書のイントロはとても印象的で、思えばみゆきさんの歌に遭遇する前から、ずっと瀬尾さんの曲が記憶のかけらとなって、瀬尾さんの曲と一緒に生きてきたんだなーっと思うと感慨深く感じます。その時瀬尾さんはまだ27、8歳だったんですね。驚きです。
天才は二葉よりかんばしセンダンは双葉よりかんばし というのは、こういう事をいうのですね。wikiを見ていて竹内まりやさんの「ドリーム・オブ・ユー」という曲も瀬尾さんの編曲なのだと知りました。改めて聴き直してみましたが、もうキラキラして、燦々と輝く太陽と突き抜けるような青い空、驚きの世界です。今のみゆきさんの曲からはとても想像できません。サンバのステップを踏む瀬尾さんを想像してしまいました。あー一体全体瀬尾さんが分からなくなりました。でもとても惹かれてしまいます。
ずっとずっと昔から瀬尾さんの曲に楽しませてもらっていたのだという気づきにお知らせしたかったのでした。
これからも、たくさんたくさん仕事をしてくださーい。
井川さん瀬尾さんこんにちは
初めてお便りさせて頂きます。
いつも仕事中にラジオを聞いています。
癒されるような安らぐような、内容のあまりないトークが張り詰めた心をリラックスさせてくれて、感謝の気持ちで拝聴しております。
私は青森在住しているみゆきさん瀬尾さんファンです。コンサート青森でやらない時は何処にでも追いかけて行ってます。
2005年に青森でコンサートしたとき、ラッキーな事にみゆきさんにお手紙を読んで貰いました。
『コンサート会場へ地元の中学校から到着するには、二時間はかかるし、サインゲットの列にはもっと早く到着するしかないので、突然腹が痛くなって早退して‥‥お邪魔しております』 と読んで頂きました。
その際、みゆきさんにどこにいるのーと叫んで貰ったんですが、声を返す事が‥出来ませんでした‥‥‥
本当に悔やんでいます。
会話したかったです。
斜め迎えの席に
国語の教師がいなければと‥‥
おまえがいなければと‥(笑)
悔やみに悔やみきれません。
コンサートが終わり
ウォーリーを捜すように
一三さまを捜したら
気さくに握手していただいて
元気を貰った最高の公演でした。
これからもお身体お大事に
ご活躍お祈り申し上げます。