『ヒューマニズムの經濟學』 について⑧

経済的制作と並行して、道徳的政策も必要だと説いた。

○第三の哲学

資本主義もだめ。共産・社会主義もだめ。
あれかこれかの二者択一的な極端な議論は無意味だとし、
そのどちらでもない、新たな構想を『第三の哲学』とし
それを生み出さなくてはいけないと説いた。

○エリートが必要である

レプケは道徳的な模範を示すことのできる人々、公共心をもった人々、
規範となり価値を体現し得るエリートの存在が必要だと説いた。
エリートは、社会的地位とは関係なく、その精神的な態度から判断されるものだと。


○自由を尊重すべし

人間と神は似ている。だから人間は「それぞれ持っている人格」を尊重すべきだと。
だから「人間を手段へと貶める」、作業員として仕事をさせる、は罪なんだと。
人格を尊重するとはなにか。
自己の欲求を実現するためには「自由」がもっとも保証されなくてはならない。

自由には消極的な自由、積極的な自由がある。積極的な自由を尊重すべきだと。

「○○したくない」自由と、「〇〇したい」自由の違い。

レプケは「自由主義」的ではあるが、
ヨーロッパ文化の伝統的な価値観を守ろうとするので「保守主義」的立場といえる。
保守を無視した自由ではない。


○人間は関係性の中でこそ人間

人間は「個」の存在であるけれど、「社会的な関係のなかでこそ、人間である」と。

つまり生理的な欲求が満たされるだけでは人間は満たされたことにならない。
むしろ人間との関係のなかでこそ認められるのだと。
だから共同体へと埋め込まれなければならないよと。

共通の価値基盤を伝達するコミュニティとして、
「家族、教会、真の共同体、伝統」を挙げている。

○道徳か政策制度か

レプケは決して精神的・道徳的価値基盤の強化のみが重要であるとしたわけではなかった。
むしろ、制度を無視し、ただ道徳的・精神的なものへ傾倒することは
危険な一方性を意味すると警告した。
道徳的なものと制度的なものはどちらが上とかしたとかというのではなく、
お互いに相互作用の上に成り立つものだと。


○これさえやればいい、はない

レプケはレプケの提案する政策が、万能で危機が完全に克服されるものではないとしている。
そもそも「これさえやっとけばいいという解決策」や
「経済で何もかも救う論」については強く警戒している。
現代の社会危機は極めて深刻な問題であり、
したがって、さまざまな努力を重ねる中で
長期的な課題として絶えず取り組んでいかなければならないのだと。

〜終わり〜

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