第3話-Act.2 配信されました

こんにちは、制作の坂本です。
第3話 Act.2が配信されました!

公開日も今日も、都内は雪の予報です。
それならば!と公開日には、
雪のシーンのロケを企んでいましたが、
当ては外れて、晴天なり。
こういうものは、どうにもなりません。

冬季オリンピックのニュースが賑やかですが、
雪の降らない地域で開催するってどんな感じなんだろう。
人工雪で、白銀の世界を創ったところで、
その雪質は天然雪にはやっぱり及ばないらしい。
確かに、ライブ配信を見ていると、ゲレンデの競技音には、
がりがりっとアイスバーンを滑る音が混じっていて、
良いコンディションではなさそうです。
国家の威信をかけたところで、
人間のちっぽけさを思い知りますね。

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第3話 Act.2を何回か見てから、
制作日記(正しくは週記ですね)を書いています。
何より印象的なのは、ラストシーンでした。

ドヴォルザークの「新世界より」に引っ張られるように
短めのカットで、さくさくと進んでいきます。
さくさくと進むといったって、
カフェでの会話だけで、12分くらい。
第4楽章、まるっとお届け!
こんなドラマ、他には知りません。あるのかな。

『草枕』は私の好きな作品のひとつです。
プロットを感じず、大した事件もなく、
「余」の考えていることが、つらつらと述べてあるだけ。
この作品を要約しようとしても、
手からするりと逃げてしまう感じです。
よし、捕まえるぞ!と意気込んでいる読者は、
何が言いたいんだろ、これ???と戸惑いそう。

そりゃあ「小説」ということになっているけど、
随筆のような、芸術論のような、
いやでも戯言かもしれないし、なんとも言い難い。
要約もしにくいし、形式にも捉われない作品だと、
私は思っています。
ただ、読者のもつ「美しさ」という感性に
訴えているなと感じることがあって、
そこに私は惹かれて、たびたび本を開くのです。
何回読んでも、本の中にも、
自分の中にも、発見があって面白い。
ノッテビアンカも『草枕』の要素を
多分に含む作品になるだろうなぁ、と感じています。

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同じ時代を生きていた、ドヴォルザークと漱石。
産業が急速に発展していって、
近代資本主義の世の中になり、
人々の価値観は
捻れるように変わったでしょう。
新しい時代の到来で、
それは新しい世界だったはず。
クラシック好きの漱石は、
ドヴォルザークの曲を聴いて
何を感じたんだろう。

第3話 Act.2の冒頭のシーンは、
セツオが朝礼をしていますが、
新しい価値観に迎合しすぎずに、
かといって衝突もしないように、
「うちはうちらしく」とまとめていますね。
これは、新世界でうまく生きていく、
解のひとつだなぁと思います。

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先日、「北の国から」の
ドラマスペシャルのある回を見たのですが、
作品のエネルギーが凄まじくて、圧倒されました。
どうやって撮ったの?!と思うシーンの連続。
適当なところで一時停止しても、
構図がピタリとはまってる。ひぃ〜。
ノッテビアンカで、ロケというものを
曲がりなりにも経験したからこその疑問の数々。
制作過程を考えただけで、あぁ気が遠くなりそう・・・。
今後、こんな作品が生まれることはあるんだろうか。
いかんせん、似たような作品が増えている今日この頃。

近代資本主義がすすんでいけば、
真っ先に淘汰されていくのは、
純粋な、文化や芸術でしょう。
一つ、また一つと、灯が消えるように
多様性を失っていくということは、
私たちの生きる世界が、
弾性というか、余白というか、
しなやかさを失うことなんだと思います。
そんな硬直した世界が、
新しい世界とされてしまうなら、
とてもつまらないことです。

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さて、このノッテビアンカはどう受け止められるんだろう。
私たちの当たり前の延長にあると思っているので、
一石を投じているつもりはないけど、
今の世の中では、一石になってしまっているんだろうか。

まぁ、時の洗礼を受けないと分かりませんね。

目の前のことをやるのみかな。
それでは、また来週〜!

まかないに、おでんが登場してびっくりした とある寒い日。マサシの愛読書を横目に、卵を食す。
もはや、炊き出しでは。(複数台のカセットコンロも目撃しました)
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