アメリカのくびき

アメリカのくびき

今、私達はアメリカのくびきにいるとボクは思います。

くびきとは、牛や馬を繋いでおくための物でね。要はアメリカの支配下にあり、一種の家畜化した状態にあるのが今の日本なのではないかと思うわけです。

来春、チェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」を世田谷の劇場でやるんだけど、ボクはワーニャを演じることになっている。その中の言葉にこういうのがあるんだよね。

「自分のうちの奴隷の血を絞り出せ、自由な人間たれ」

お前たちはみんな奴隷なんだ、血液の中にまで奴隷の血が流れているのだよ。
それを絞りだして、自由な人間であっておくれよ。という意味ね。

チェーホフが死んだのは1904年の日露戦争が始まった年。

ロシアはモンゴルに支配されていた歴史を持つんだけど、そのことをロシア人は「タタール(モンゴル)のくびき」と卑下して言っていたわけ。

チェーホフが描いているのは、モンゴルに支配されていたロシア人が誇りをすっかり失ってしまっていた様。それをそのまま見せているという感じかな。

チェーホフは、自身のあきらめも含め、誇りを失ったロシア人が多いことに、非常に嘆いていたんだろうと思う。ただ、作品の中では、仕方ない、みんなそれぞれに必死なんだというチェーホフの優しい眼差しもあるんだよね。

かつての「タタールのくびき」下にいたロシア人は、今、アメリカのくびきである日本人と重なるし、ロシアがウクライナと戦争している背景には、くびきになってはいけないというロシア人の民族的な誇りがあるのかもしれないね。

かつて日露戦争に勝った日本が今はアメリカのくびきとなっている事は、とても皮肉な事だけど、歴史は繰り返すのだとしたら、この後日本は戦争に負けたとして、酷い目に合う中で、日本人の誇りを取り戻していくことがあるのかもしれない。

だとしたら、ボクらはその中でどうやって生きていくか。チェーホフはそのことを問うているのではないかと思いますが、皆さんはどう思われるでしょう?

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