潰れるのを待つ

潰れるのを待つ

コロナの最中、個人でお店をやってるヒトは、潰れるのを待つ感じになってると思うんですよね。

お客さんが来なければ売り上げは立てられない。「これから飲食店は今までお金を使わなかったヒトがどさっと来て潤うから平気でしょ?」と言われるけど、物なら一年間買わなかったからと、需要が伸びる事はあっても、飲食店は過去食べなかったから需要が伸びるという事はない。そう考えると、この1,2年で出来た借金を取り返す事は出来ない。

となると、潰れるのを待つばかりとなるよね。
時代の流れで残るもの、残らないものがあるのは仕方ないよ。
三茶のお店周辺も随分閉店して、そのあと違うお店が入ってる。
東京の家賃が高いところは、それでもやっていける外資やチャイナ、低価格でも利益が出るような店だけが残るし、入ってくるようになると、ボクは思う。そんな中で、潰れるのを待つというのは、ボクは意味がないと思ってるわけ。要はただの忍耐論だよね。

周りのお店が潰れ、うちみたいな所が残ったとすると、ライバルが減って生き残った分、残った所に恩恵があるだろうと思うヒトもいるかもしれない。でも、それはすごく利己的な考えで、全くもって賛同できないし、そうはならないと思う。

極端に言えば、戦争になったり、大空襲になって、焼野原になって、うちの店だけが残ったとして、じゃあ、みんな焼野原の中、お茶飲みに来る人がいるかと言えば、来るわけないでしょ。

街でも、国でも、全体として穏やかに、和やかに、健やかにあるからこそ、カフェというものが存在する意味があるわけで、カフェは言ってみれば風俗。その街で楽しかった事が他にあって、そのあと、「もう少しお茶飲んで帰る?」というところに、カフェが位置づけがられるのであって、カフェのオーナーがものすごい強い個性があるために街に残るというのは、ボクは良しとしてないけど。

街には、いろんなカフェがあっていいと思ってる。それが街だから。

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