音楽と演劇とカフェ②

この音を聴くと日本的とか、これを弾くと沖縄っぽいというような、地域ごとに根差しているコンテクストがあって、その地域の言葉、生活習慣、場所が一つの文脈になって、その中で、音が高い低いというのがある。

どんな地域、ジャンルであっても、リズムが速くて音が高くなれば必ず興奮する方向に向かうのは、世界の音楽全てに共通する。人間が持っている根底にあるものはボーダレスだからね。

その地域にある土着の言葉、生活習慣、気候風土は、人間、自然に由来し、そこから音楽や食文化が生まれているのは揺るぎない事実。
ボーダレスにするということは、もともとあるその土地に着目するということ。ボクはカテゴライズを取っ払った地形や気候風土に着目しているんだよ。そうしないと、なんで音楽をやっているのかわからないと思ったからね。

歴史、時間のタームで考えると、古代は人間が今ほど居ない。ちょっと都市から離れれば、森など、むき出しの自然だったはずで、すぐ隣に死がある時代。世界は今よりとても広かったんじゃないかな。今も、緊張して長い一日もあれば、楽しかったデートはあっという間というように、心の持ちようで時間の長さが変わるわけだから、古代のヒトは時間という概念が今みたいにかっちり流れてなかったんじゃないかな。

そういう時代に音楽はどうやって生まれたのかと考えると、音楽は時間のアートで、音楽を聴かないと、他者との時間を共有出来なかったんじゃないかな。
例えば、ある女の子が歌を唄って、それをみんなで一緒に聴くことで、そこに居ることを感じる。その時間をみんなで共有することは、とてつもない安心感で、大事だったはず。

その名残が今のライブにあるんだよ。

時間の概念がない時に、音楽で時間を共有することで、自分たちは仲間であることを意識する。これが音楽のルーツ、持っている力であるとすれば、イヤホンで聴いている音楽はいったい何なのか?

それはまた、続きます。

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