煮えムラ

ボクは、毎日、ラジオを録っているけど、お弁当も作ってるんですよね。

たくさんのお弁当を作っていて、煮ものを作ることが多いわけだけど、ボクは煮えムラを割と大事にしているんだよね。

料理の本や料理番組では、煮えムラは出来ないようにするのが一般的だよね。煮ものは、味の濃い調味料で味の薄い野菜を煮ていくわけだけれど、野菜の中に砂糖や塩が入れば、野菜の中の水分が外に出て、代わりに出汁の成分が中に入るということで、味が一体化していくわけ。
出来立てだと、大きい根菜類の中まで味が染みていないので、表面とその中の間に味の差が出来る。つまり、煮えムラが出来る。

ボクも料理をする時に、ついつい煮えムラが出来ないようにしちゃう。でもその時に、「いけない、煮えムラを作らないようにしてる!」とハッとすることがある。
プロの調理器具は、煮えムラが出来ないようにする機能があって、良く出来ていると思うけど、ボクは家庭料理の美味しさは、煮えムラがあることだと思うんだよね。

おむすびでも大きいものと小っちゃいものが混じることが、その家庭の豊かさなんだと思う。家族というのは大きい子、小さい子がいて、世代や体格も違うヒトが混じるわけでしょ。少量でいい、とか、たくさん食べたいというヒトがいた時、大きさが均一でなくても、むしろ良いよね。

均一に切られた野菜を見ると、切ったヒトの丁寧なひととなりが分かるけど、ボクは、あえて乱切りで勢いで作るのを良しとしてるので、煮ものに、煮えムラが出来る。ボクは、全部に均一に味が入っているよりも、むしろ、煮えムラが出来ることが、美味しいと思うことがあるんだよね。

パンでも端っこが好きってヒトがいる。顔の分からないお客さんには出来ないけど、関係性があるヒトなら、端っこを出してもあげられるよね。
そういう意味で言うと、ムラを味わえるのは味わえないヒトよりずっと豊かなんじゃないかと思うんだけど、考え過ぎかな?

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