災い

災難と言ったら、みんなコロナで災難なんじゃないの?

ウィルスの感染だから天災かもしれないけど、コロナに関して言えばボクの見解は人災だっていう気がするね。だって、いろんなおかしいことが多いよね。
歴史は、ちょっと俯瞰して見ないとこれがなんなのかは分からない。今みたいに、ヒトとヒトとの縁を切って、距離をとっていくことでヒトとの関係が希薄になったところに経済的なダメージや、地震や天災が起きると、今回のことが別な形となって災難を招くことがあるもんね。

自分たちが鬱屈している何かが、あるきっかけで別の何かになるということがあるから、災いというのは主観だと思う。災いを転じて福となすという諺もあるし、人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)という諺もあって、不幸は絶対値じゃなくて相対性だってことでしょ。雨降って地固まるもそうだけど、何か起きてネガティブなことが実はそのあと、ラッキーなことが起きる礎になることはいくらでもあるわけだからね。
ということは、戦争にしても、天災にしてもそのヒトが好機、チャンスだと思ったら、それはもう災いじゃないもんね。災いは客観的なことという気がするなぁ。

昔、四柱推命で、あなたは火だと言われた。火なんだけど水で消されれば消されるほど燃えるタイプの火だと言われたことがある。本来火は、水で消えちゃうんだけど、非常に珍しい四柱推命なんですよって言われた。
カフェをやることは、火のあなたの何かを削いでいるけど、あなたは削がれれば削がれるほど燃えるヒトなのでカフェはピッタリかもしれませんってね。
ものすごい切ない人生だなと思ったね。

青菜炒めをするたびに、四柱推命で言われた言葉を思い出す。このチンチンに煮えたぎっている火鍋の中に水をかければかけるほどシャっきりとした青菜炒めが出来るということだからね。
四柱推命でいうと相克、お互いに打ち消し合うような関係があってこその、クリエイティブ。
そういうことだと思ってるくらいだからさ、災難とか災いとかろくに考えてないってことだね。

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