二人三脚

ボクとエトワール★ヨシノについて話そうと思うんですけどね。

ボクとヨシノがやっていることがマメヒコのプロジェクトの一環だとするとね。上質なヒト達にハイクオリティーなものを届けるというのと、大衆性が強い場末の飲み屋のようなものが両極端にあるとすれば、ボクらがやろうとしてるのは、その中間層なんだよね。大衆でもなく、ハイソサエティな貴族でもない、そういうものをやろうとしてるわけ。今の現代アートは全体的に説明がつくというのがアートなんだよね。音楽ならグラミー賞をとった、芸大を出ていること…。現代アート自体、権威がないことには成立しないというパラドックスに陥っちゃってる。権威の上に成り立っている砂上の楼閣なわけ。

普段は映画や音楽なんか聴きに行かないというヒト達がごっそりいるよね。じゃあ、そのヒト達が芸事に全く触れてないかと言えば、そうじゃなくて、大衆の娯楽そのものが現代のアートなわけで、素晴らしい絵が美術館に行かなきゃ見れない時代じゃなくて、スマホでなんでも見れる時代にドラマや雑誌の写真もクオリティーは高くてね。ヨシノのライブを見ても、みんな参加を求めていて、今のヒト達に素晴らしいアートはもう不要になっている。アートの定義が変わっちゃってるよね。

ボクらが提示できるもの、欠けてるものがあるとすれば参加を含めたアートなんじゃないかと思うんだよね。
ボクらの定義するアートは、みんなで参加するアートというか一つのお祭りなんだよね。

同じ様な意識で何かを作っていくという街のお祭りみたいなものは今、失われていて、薄れている。だから、なにかアートを作っていくというスタイルにボク自身も意識してるし、ヨシノもそうなっている。

いろんな形の参加の仕方があっていいと思うけど、どこか扉をたたくなり、ヒトとヒトとの関係性を築いてその中でなにかを作っていくのが、新しい時代の一つの試作ではないかという気が昨日のライブですごくしました。

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