スマホ世代の10代、20代の子達と付き合っていて、ある種、共通して言えることがある。
何か完成したものを先に作りたがる、作ろうとするけど、かえって完成から遠ざかってることが多々あるよね。それは、小さい時に手描きの落書きを描いたか、塗り絵を塗ったかが大きく影響してるんじゃないかと思うことが多々あるんだよね。
先だっても、今年全般のスケジュールを若い子と話していて、「下半期は今よりもっと面白可笑しくやっていこう」と話すと、それをそのままスマホのカレンダーに入力しようとする。「それって、意味ないんじゃない?」って言うと、「はあ、なるほど」と言うんだよね。
ボクは小さい時は絵が好きで、よく描いていたけど、何かを描こうと思ってキャンバスに向き合うことはまずない。とにかく丸や棒線を描いて、それをいじってるうちに何かに見えてくることがあって、また紙を丸めて、描いて、また描くという感じで、何を描きたいかということの為に何度も手描きで頭の中のスケッチを描くという経験があるんだよね。
これを端折って、何を描いたらいいか分からない子どもに塗り絵を渡したら子どもは楽ちんだよね。白い紙に何を描きたいか分からないという時間は、何をしたいのか分からない時間を紙に向き合ってるわけでストレスだからね。でも塗り絵を与えて、それを習得させるより、何をやりたいのかという頭の中のものをスケッチする方が大事じゃないかと思うんだよね。
それには子どもに向き合う時間が必要だけど、それに社会が付き合い切れない。
大人の怠慢で塗り絵を与えられ、その結果、自分が今何をやりたいのかを考えられず、とにかくアプリのカレンダーに、これから面白可笑しくやっていくということをタスクとして書き込んで、そのことの何がおかしいかを分からないヒト達。好きなことをやっていんだよと言っても、そのヒト達の胸の中に届かないし、届いてもいざやってみると、どうしてよいか分からないと途方に暮れることが多い気がする。
ボクはそういうヒト達に、ものすごくたくさん会います。