神はなぜ黙ってるのか

遠藤周作の「沈黙」という小説の中に隠れキリシタンの話があってね。

江戸時代、長崎にキリスト教が伝わり、信者が増えすぎたことをよく思わない徳川幕府が、むごい弾圧をして島原の乱になり、最後、信者が集まって籠城する。それを幕府が全て、殺してしまった。

迫害を受け、女子どもも容赦なく、人間の悍ましい光景を目の当たりにして、なぜ神は黙っているのか?我々は神のために村を作り、神の愛のために日々生きているのに、神を信じてない悪事を尽くしてるようなやつらが、のうのうとのさばっているのは不公平じゃないか。と、人間は弱いから思うわけだよね。

そういう時の人間の考え方が4つあると、とある本に書いてあってなるほど、と思ったのを紹介するね。

・こんなにひどい人間をほっといて、純粋で無垢な子どもや神のために生きているようなヒトがひどい目に合うなんて、神はいないんだという無神論。

・神は全知全能だけど、愛情がないという考え方。

・神様は無能なんじゃないか?

もう一つ、

・神さまにも人格があり、基本的には人間のすることに干渉しない。

という考え方があるんだよね。

聖書にはこんなことが書いてある。キリストが栄光の中にすべての使いたちを従えて来る時(終末論)、彼はその栄光の座につくであろう。そしてすべての国民をその前に集めて、羊飼いが羊とヤギを分けるように彼らをより分け、羊を右にヤギを左に置くであろう。

つまり、神は人間の生活に干渉はしないけど、最後の審判で、今までの裁きがあって、まるで羊とヤギを分けるように、あんたは天国あんたは地獄とする。

人間は弱いもので、信仰が必要だけど、それによって目先のことを変えることは出来ない。ただ、長い年月で見れば、人類平和に全く近づいていないわけでもないし、宗教は自由だよね。でも、世界の紛争はなくなってはいないわけで、やっぱり神を信じることは必要で、神はいないんだと思った方が楽だ、という方は是非、遠藤周作の「沈黙」、もしくはドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読んで、神はなぜ黙っているのかについて考えて頂きたいと思います。

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