ボクの周りには若い子が多いけど、ボクは若い子に限らず、お金持ちや、大きな仕事をしていた年配の人とも付き合うことがあります。
ある年配のヒトがね、ひと財産を築いたところが、晩年になって、今まで自分はたくさんの友達に囲まれて生きてきたと思っていた。でも、それは単なる幻想で、その人たちは自分のお金に群がっていただけなんじゃないかと思ったら、なんとも虚しいと言っていた。
人生には自分というものを振り返る時があるけど、満ち足りた状態では気づけないことがあると思う。
人生の潮目、干上がると自分の海底がよく見えることってあるんじゃないのかな。
例えば、小さい頃、ただ歌えればよかった少女が、芸能プロダクションに入り、デビューしてそのままスターに上り詰めたとする。
芸能界で生き残るために、理不尽なことも飲み込み、辱めを受けたけど、お金はしこたま手に入った。
そんな彼女が晩年、お金がなくなり、容姿も崩れると、海の潮が引くように、底が干上がって見えた時、彼女が小さかった時に心に空いていた穴はついぞ埋まることはなく、まだそこにぽっかりと空いていて、その穴が自分に訴えてくる。
ホントに必要だったものはこんな大きなものじゃなくて、好きな歌を歌って褒められたいという小さな思いで、その穴を埋めればよかったんだと。
今の時代はものが十分にあるからこそ、大人たちは小さな穴を埋めるために、とりあえずという言葉で足していく。
とりあえずいい学校、とりあえず受験、とりあえず合格、とりあえず就職、結婚‥
そうして今のヒトは、澱が溜まるほど余白はなくなっていくわけで、自分の人生が干上がった時に底を見たら、こんなちっちゃい穴を埋めたいがばかりにあんな大袈裟なことになっちゃったんだなという感じになりやすいんだと思うんだよね。
海は一日に一回、潮の満ち引きがあるから一日一回、海底が見える。
人生いい時があれば悪い時もあり、それが交互にあるというヒトは、自分の海底を見ることができる。あの穴を埋めればいいんだとわかるから、あんまり頑張らなくてもいいと方向転換できる気がするけど、ずっと満ち潮で来てるヒトは、晩年にザザーっと潮が引いた時、なんて虚しいんだと思ったりするんじゃないかと思うんですが皆さんは、どうでしょう?