期待するということは

自慢じゃないけどボクは寛大だと思いますね。

それは単に、あまりヒトに期待してないからだと思うんだよね。

カフェで女の子たちと仕事をして20年余りになるけど、カフェで働くヒト、特にMAMEHICOで働くような子には似たようなところがある。

みんな気立てもいいし、優しいし、一生懸命。だけど、非常に視野が狭い。みんな他人への期待が大きいと思うんだよね。

ボクは寛大というよりは他人に期待しない。要は執着しないということ。

執着というのは自分が望むように物事は進んで欲しいという、こだわり。期待するというのは、相手にこうあって欲しいという執着がとても強いということで、この執着を手放すのが寛大であるということ。

どんなことでも許しちゃうという、受け入れる心の広さというニュアンスよりも、自分がこうあって欲しいという執着を手放すことの方が楽に生きられると思うんだよね。

老子が言うように、「無為自然」にありのままを受け入れて自然の流れに身を任せるというのではなく、反対に、計画通りに物事を進めたいとか、こうあって欲しいという思いが強ければ強いほど苦しみを生むわけで、それだと無理が祟ってうまくいかないんじゃないかと思うんだよ。

勝ち負けにこだわるヒトは阿修羅。目指すは菩薩。穏やかに楽しく、出来る範囲で頑張りましょう。それでも苦しみは、やっぱりあるのだから。

他人に自分のやったことを認められたい、こんだけ頑張ったんだからと期待すると、それが叶えられないと、ものすごく苦しみになっちゃう。だって、他人は褒めないからね。

でも、褒めないけど見てないわけではない。

では、どうやってその執着を捨てられるか?

自分にも、他人にもこうあって欲しいという執着は幼稚で、世の中が複雑であるのを無視しているというのかな。

世の中は、努力すれば必ず願いは叶うという一辺倒。そういう言葉を真に受けて、お店の狭い空間の中で、自分にも他人に対しても強い期待を持って働いてる子たちを見ると、その執着を捨てることで、周りにも、自分にも心穏やかな日々が送られるんじゃないかと思ったり、思わなかったり。

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