辛いとカレー

今年は日本語について考えることがあったな、と思うんです。

それは春分の日あたりに宇宙歴の話を聞いたことがきっかけで、年(ねん)という言葉がまるの円(えん)、いにしへの縁(えん)という言葉に音が近いのには意味がある。一年間の年が円であり、縁である、と。

僕らは先に漢字と言葉をセットで学校で勉強する。円と年と縁が音が近くても、違うものであると左脳的に学習するよね。

例えば「はやい」という言葉は、時間が早い、足が速い、これは同じ「はやい」という音でも違うものであると、普通は違いに着目するよね。「豆は足が早い」というと、腐りやすいということ。

同じ「はやい」という音が持つ意味は、後から漢字で当てたのとは別に、音の持つ意味があるんだなと意識するようになったんだよね。日本語の持つ音の響きというものが、その意味を持つ、と。

そんなふうに見ると、「辛い」と「カレー」ってすごく似てるよね。「うわっ!このカレーかれー!」(このカレーはとても辛い)

これは偶然じゃないんじゃないかと調べてみたら、やっぱり「辛い」と「カレー」は同じ語源だという説があったんだよね。

「カリー」は南インドのタミール語で「ソース」という意味。これが日本に渡ってきて「カレー」になったんだけど、そのタミール語が日本語に近い、タミール語と日本語を比較すると似ているということがあって、日本語の語源にタミール語があるということを唱えているヒトがいるそうでね。だから、「カレー」と「辛い」が同じ語源であるのは偶然ではないという説がありました。

これは確かめてないんだけど、英語で言うと「ミラー」、日本語は「鏡」。「未来」という言葉と「ミラー」が音が近いのが気になっていて、「未来」を映す「ミラー」というのは、なんかボクの中ではリンクする。昔から「鏡」は三種の神器に数えられ、自分を写す、鏡の向こうに「未来」が見えるということで神格化されている神聖なもの。

「お茶」というのは「チャ」という音で、ふざけているということ。「お茶目」、「チャチャチャ」、「お茶らける」‥その音自体が緊張を和らげることってあると思うんだよね。

ヒトの名前も、「さとこ」なのか「さとみ」なのかで、性格が違う。最後の語尾の部分、音からくる響き、オノマトペから連想されるもので違うなと思う。

「キャハハ」と笑う、「ゲラゲラ」、「くすくす」と笑う‥音はおもしろい。音について考える年だったなって最近思います。

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