ボクはもともとテレビ番組を作るプロダクションを経営していました。
ところが、なんかいまのテレビって面白くないな、って肌で感じてしまって、
2005年7月1日に三軒茶屋でカフェを始めました。
そうやってマメヒコを始めたので、「カフェが好きでやりたかった」という感覚は、正直なところずっとないんですね。
テレビっていうのは「伝える」んじゃなくて、「伝わる」工夫をするもんだと思っています。
だれとでも仲良くしましょう、大切なことですといくら伝えても、実際には伝わりませんね。
だれとでも仲良くしたい、だけどできない。それが人間でしょう。
テレビドラマだったら、セリフには無い部分、ふとした仕草、沈黙の中に、感情をにじませる工夫が必要です。
こういった自分の経験を重ねられるような余白があるからこそ、視聴者はストーリーを想像力で補い、登場人物に深く感情移入ができるんです。
それが「伝える」ではなく「伝わる」だとボクは思う。
そういう「伝える」と「伝わる」の違いを、カフェをやりながら意識してきた。
ずっと試行錯誤しながら、いまもそうですけど、そうやって「マメヒコ」を続けてきたんです。
偶然ヒトが集い、同じ空間で顔を合わせ、その時間を共有する。
カフェはそういう場所なわけで、そこに可能性があると思ってます。
たんに珈琲やデザートを提供するだけじゃなく、演劇や音楽ライブ、遠足など、予測不能な活動に力を入れてきたのも、なるべく偶然を演出するためです。
そういう活動を通じて、少しずつですが、ボクたちのマメヒコは、一つの「場」としての役割を果たすようになってきた。
そんなさなかに、最大の危機であるコロナが来たわけ。
突然、誰も来なくなり、ヒトが集まること自体が不謹慎だという空気になった。
感染症の怖さなんかより、大義があり矛盾を通されると、みんながある方向へ一斉に流されていく姿を見て、これは作られた戦争なんだ、と感じました。
そのとき、人間というのはなんと脆いのかと思ったんです。
このヒトは気骨あるだろうと感じていたヒトも、ことごとく流されているのを目の当たりにして、あーあと裏切られたような気持ちにもなりました。
ボクたちはそれでも、マメヒコを一日も休まず開け続けたのは、信頼できるお客さんやスタッフがボクの周りに沢山いてくれたおかげです。
その支えがあったからこそ、この危機を乗り越えることができた。
その恩返しとして、「MAMEHICO」は、ヒトが集まり、何かを共有し、一緒に学び、創造していく場所にしようと思いました。
2025年は、もっとたくさんのヒトにとっての「居場所」でありたいと考えています。
もっと自由に、もっと創造的に、そしてもっと面白可笑しく。
20周年を迎える「MAMEHICO」、どうぞお楽しみに。
このメッセージが「伝わ」ったみなさんは、ボクと一緒に、この場所を作り上げてもらえたら嬉しいです。
良いお年を。