「ところにより、雷雨」

ボクのやりかたは
いつだってこうなんだ。

まず好きから始めてみる。
楽しいことしか考えない。

いやだなとよぎることがあったとする。
でもそれより、
楽しそうが上回れば、やる。
そうじゃなきゃやんない。

考えはいつもシンプル。
失敗は始めから織り込み済みだ。

やりたいが先なのだから、
準備不足であたりまえ。

シャンシャンと始めてみた。
仲間が要ることに気づいた。
お金が要ることに気づいた。

大抵、道の途中で、
とんでもない不足や失敗に
気が付いてしまう。

こんな時は最悪だ。

こんな目に遭うんだったら、
あぁしておけばよかった。
と頭をよぎるが、
そもそも、やらなきゃよかったという
泣き言は、言わない約束だ。
それは男として恥ずべきことだから。

あれが足りない、
これが足りないのは当たり前。
その場や現地で、
それらしきものを調達すればいい。
無ければ、んー、気にせずに、はい、
寝ます。

始める前に、先行くヒトが
親切に教えてくれることがある。

あれはしてはいけない、
これをしておいたほうがいい。

そういうアドバイスは、ありがたいが、
まったく聞かない。

だって。
聞いたところで仕方がないから。

まだボクは始めてもないのだ。

ご親切なアドバイスが、
ご親切かどうかさえ、
始めてないボクには見極めさえできない、
ボクはまだポンコツなのだ。

道の途中。
ともに歩く仲間から不平がこぼれることがある。
友人の顔から光が消え、疲弊が見え隠れする。

「もっと準備さえしておけば、こんな目に
遭わなかったんじゃないか」とこぼす。

こぼしている相手は、
言いだしっぺのボクだ。

ボクも疲れている。
言い返したいことはいくらでもある。
けど言ったところで空しいだけだ。
なので、黙っている。

反省?そんなもの、しない。
ボクは嘘をついたわけじゃない。

「ねぇ、面白そうだけどやってみない?
どうなるかわかんないけどさ」

あの時のボクが自信たっぷりに
笑顔でそう誘ったから、
そこに希望を見たんだと思う。
だからこその失望も分かる。

胸は痛い。
けどボクも逃げないでやっているのだ。
どちらかが一方的に
悪いということはない。

いつだって困難は友達。
いつだって、足りないことに慣れっこ。
とにかく行けるところまで、
行ってみるのだ。
そこで一息つけばいい。

そもそも方角が
間違っていたということは、
いまのところない。
だいたい予想していた通りの
方角に来ている。
そもそも困難な方角を
目指していたというわけだ。

「ほんとはね、もっと近道があったんだよ」とか、
「うまいやり方があったのよ」、
そんなことを聞くと、
後悔はあとを絶たない。

あぁ、バカだなと、
自分で自分にうんざりする。
自棄になる。
自分など、どうにでもなってしまえと思う。
いっそ死んだほうがましだなと思って、泣く。

そんなときは、
シャワーを浴びて、枝豆食べて、
タオルを顔にかけて、寝よう。

目が覚める。
時間だけが経っている。
問題は・・・、
残念ながら、なにも解決していない。

誰かが解決しといてくれるわけじゃないのだ。

眠い目をこすり、再び問題に向き合ってみる。
ん?
大きな問題と思っていたのに、
なんか糸口が見える。
そして突然、
あっ、と閃く。

大胆なアイデアだ、
非難もされるだろう。
しかし、これならやってみたい。

地獄の昨日から、
急に天国の今日になる。

クリーニング屋の煙突は、
今日も湯気を立てている。
世間はボクのご機嫌など
ちっとも気にしていないのだ。

だれからも心配もされていない、
だから、誰に遠慮することもないのだ。

なんだかうまくいきそうだ。
鼻歌を歌い、再び始めよう。

本日は快晴なり。
夕方からゆっくりと下り坂。
ところにより、
にわか雨、および雷雨。
ラジオから雑音交じりのラフマニノフ。

ずっとそうやって生きてきたのだ。
誰に文句言われる筋合いもない。
ラフマニノフには、
ラフマニノフのやりかたがある。

そして。
ボクのやりかたは、
いつだってこうなんだ。

Archive
カテゴリー