井川さんと角田さんのトークイベント、「あの頃、ボクは信じていた」の2回目は「洗濯機」がテーマ。高度経済成長の時代には三種の神器の1つとも言われ、今や家庭になくてはならない家電です。あまりにも当たり前の存在すぎて、衣服を洗う機械であること以外の意味を考えたことすらありませんでしたが、洗濯機がもたらした社会への影響について、改めて知る機会となりました。
そもそも、日本人は着物文化だったので、衣服を毎日のように洗うという習慣はなかったそうです。それが洋服を着るような文化になり、頻繁に洗濯をするようになりました。
しかし、洗濯機の登場以前は、たらいに水をはり、洗濯板でゴシゴシ、というスタイル。家事を担う主婦、つまり女性たちにとっては重労働です。当時、三洋電機の創業者である井植歳男は、「5人家族なら1日の洗濯物は2キロ。3年で2トン。動物園のゾウ1頭の重さや」と言ったそうです。そして、主婦の負担を楽にするため、一般家庭にも手の届く価格の洗濯機の開発に取り組むことになりました。
その後、各メーカーが競って最新の洗濯機を市場に投入。一般家庭にも普及していきました。便利な家電の普及は、家事労働の負担を軽減し、女性たちに時間を生み出すことにつながる。それが社会進出の後押しになる。そのはずでした。しかし・・・。
当時、消費者の購買に大きな影響を与えていたメディアといえばテレビです。テレビCMはもちろん、家庭を描くドラマも消費を喚起する重要な役割でした。そのドラマに登場する嫁と姑。よくあるストーリーです。便利な家電が家事の時間を短縮したからといって、それが直接女性たちを楽にしたわけではありませんでした。この時代で描かれる女性像で、バリバリのキャリアウーマンという設定は皆無でしょう。
その後、1985年に制定された男女雇用機会均等法により、女性の社会進出が後押しされます。しかし、共働き家庭の割合が専業主婦のいる家庭を上回った令和の時代においても、家事負担はまだ女性の方が大きいというデータもあります。
ロボット型掃除機や食洗機といった家電も普及しつつありますが、結局、求められる家事の水準は高まり、どこまでも家事労働は楽になりません。だからといって、毎日のように洗濯をしなくてよかった着物の時代に戻りたいかと言われれば、誰もそうではないでしょう。
あの頃、ボクたちが信じていた家事からの女性解放は、夢だったのでしょうか。
まだまだお話は続きますが、最後はミヒャエル・エンデの「モモ」に登場する時間泥棒に絡めて、お話は終わります。
「人間はひとりひとりがそれぞれじぶんの時間を持っている。そしてこの時間は、ほんとうに自分のものである間だけ、生きた時間でいられるのだ」
今回の「あの頃、ボクは信じていた」は、渋谷ラジオ「渋谷で角田陽一郎と」でもオンエアされました。こちらのサイトでも前半部分をお聞きいただけます。
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