マメヒコのお客歴15年の酒井俊直さんとの対談です。
マメヒコの井川がやらんとしてることを誰よりも、
的確に理解していると自他ともに認める酒井さんです。
ハタケマメヒコについて語っています。
ラジオでもいくらか語ったけど、2010年、ハタケマメヒコを始めた当初は、
のちのち大きな意味を持つ可能性があるんじゃないかと思っていたんです。
2005年にマメヒコを出店して、
三茶、渋谷と立て続けに店を出し、
店の借金は膨れ上がっていたし、
とくに渋谷の街の過当競争に巻き込まれていく、
そんな感じがしてた。
カフェ以外のことも色々とやりたかったけど、
とにかく借金を返してからね。
とそんな感じでした。
借金を返し終わってからと言っても、
それでは人生が終わってしまう。
そういう焦りがいつもあったのね。
そんなときに、北海道で豆を栽培しようと思いついて。
帯広から南の外れ、大樹町でハタケマメヒコは始めたんですけど。
たしかに地代は東京に比べて格段に安い。
東京と行き来しながら、
ここなら、好きにやれるかもしれない。
だけど、若いヒトがちっともいないのね。
あたりで最大の都市である帯広さえも閑散としている。
あー、これは思ってたよりやばいなー、といつも思ってました。
落ち行くものに打つ手なしという感じで、
良いところはいっぱいあるのに、
あまり活かしきれてなくて、もったいないなとも思ってた。
そんなこんなで、好きで始めたとはいえ、いつもハタケでは歯ぎしりばかりで、
随分と歯のすり減った10年だったなと言う感じです。
色々と事業化したら面白そうとぼんやりと描いてたものは、
どう考えてもボクには力不足だなと諦めてた頃に、ハタケの遠足が盛り上がりました。
結局、ヒトとの様々な出会いという違う形に落ち着いて、
ハタケマメヒコはなんとなく今に至っています。