毎日の売上はほんのわずかです。
それでも来てくれているのは、ほんとにいつもの常連さんです。
常連さんがいっぱいいるわけではないので、
「そんなちっぽけな売上、焼け石に水だよ。だから閉めたほうがいい」
そう思うかもしれません。
「こんなときに来てくれるだけでありがたい。
来てくださるのだから、なにがなんでも開けよう」
そう思えるのが、ボクやうちのスタッフなんですよ。
カフェをやっているところの状況は、どこも深刻だと思います。
行動は気持ちが決めるのですから、要はお店の未来を左右するのは、
人間の気持ちの問題です。
未来は、気持ちが決めるんですよ。
ボクは、ここ10年で、世の中はおかしくなってると思います。
資本主義経済は行き詰まり、それに代わる世界が見えてこない。
そんな閉塞感が重い雲のように頭の上にある。
それが損得勘定ばっかり考えるヒトを増やしているのでしょう。
ボクの周りにも、「それをやってなんの意味があるのか」と、
そんなことばかり気にしてるやつがいっぱいいますよ。
そんなに未来が不安なのかよ、と文句言いたくなりますが、
言ったところでつまらないので黙ってます。
ボクはマメヒコを通して、「愛ある社会」にするにはどうしたらいいかと、
結構ホンキで考えてるんですよ。
人と人とが自由に生きる。損得勘定じゃなく相互助け合いの関係で生きる。
美しいものに接して生きる。そういった社会です。
この灰色のつまらない社会を変えるには、既存の社会にあぐらをかいて座ってるヒトたちを、
まずはどけなきゃいない。
でも、そんなのどきそうにないなぁ。
ボクがいくら頑張っても変わるわけじゃないしな。
そんなふうに失望していたんですけど、
どうやら今回の騒動で、ボクが描いていた社会の方へ変わってゆく確信があります。
世界は昔のように小さくなるでしょう。
グローバリズムの突端で働いていたヒトたちは混乱するでしょうし、抵抗するのでしょうか。
規模を大きくして手数料で稼ぎ、そのおこぼれにあやかっていたヒトたちも困るでしょう。
川端康成に「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」というのがある。
真っ暗なトンネルに入る。そこを出たら白銀の別世界になってる。
目先のトンネルは暗くて怖いけれど、別世界に行くにはそこは避けるわけにはいかない。
もう後戻りはできないとこまで来てしまったんですね。
それが、はっきりしたということです。
色々やりたいけど、無理かなと思っていた、
山を買ってハタケを作ろうとか、
劇場を作って毎日ゲーテ先生の音楽会をやろうとか。
怪我しても笑ってる保育園をやりたいなとか。
お薬を出さない薬局を作りたいなとか。
感情の赴くままに、のフィール大学を作りたいなとか。
夢がやれるかも知れないな、フフフと思ってます。
北海道弁でボクが好きな言葉に、どっちゅことない、というのがあります。
「トンネルかい?なーんも、どっちゅことない」
それでは、今日も良きに計らって。