マメヒコの井川とクルミドコーヒー、
胡桃堂喫茶店の
店主影山知明さんとの対談です。
(影山知明)
井川さんはぼくの人生を2008年~
あらぬ方向へと導いてくれた
張本人であります。
以来、井川さんとはよく会い、
よく話をしてきました。
一緒に話をした時間を集計するアプリでも
あったなら
ぼくの人生においては井川さんがダントツの1位。
その長さはもちろんですが
その中身の濃さ、気付きの多さ。
それは、井川さんが、自分とはまったく違う
タイプだからということも
大きく作用していると思います。
ゆえ、今の自分の大きな部分は
こうした井川さんとの関わりによって
できていると言って、過言ではありません。
養老孟司さんが「人と動物の意識はどう違うか」について考察しておられます。
「朝三暮四」という言葉がある。
猿に「どんぐりを朝に3つ、暮れに4つやる」と言うと少ないと怒ったので、「朝に4つ、暮れに3つやる」と言ったら喜んだ、と。
猿には、どちらも「同じ」だということが分からない。
人間は意識があるので、ナシとリンゴは全然違うのに、同じ「果物」だとくくってしまう。
なんでも「同じにする」ことこそが人間の持つ意識の働きなのだ、
と養老さんは言っておられます。
その意識のおかげで、人間は「言葉」も「お金」も使えるようになり、
丸めて考えられないヒトは下等な生き物だとそう考えるんだというんですね。
一方で、その「意識」は、「自然」「子供」のように、結果がわからないものを敬遠する傾向がある。
そしてノイズの多いものに対しても、触れたくないとするのです。
思い当たるヒトがいっぱいありますよ。
さもありなんで、すぐに誰かを非難するヒトは、
なんでも丸めて考えるからでしょう。
こうするのが常識、こうするのが当たり前。
事情やそのヒトの性格も考えもしないで、
それを押し付けるのは、なんでも丸めて考える人間の意識の仕業なのでしょう。
そして細かいことを気にしている子供は、下等な動物だと思っているのでしょう。
でもですよ。
そういう風に振る舞っていたら、遅かれ早かれ行き詰まりますよ。
まぁ行き詰まってから、考えればべつにインですけどね。
いつもいつも意識の中だけで生きているのは、現代病である、
養老さんはそうおっしゃっていました。
ボクもそう思います。