マメヒコの井川とクルミドコーヒー、
胡桃堂喫茶店の
店主影山知明さんとの対談です。
(影山知明)
井川さんはぼくの人生を2008年~
あらぬ方向へと導いてくれた
張本人であります。
以来、井川さんとはよく会い、
よく話をしてきました。
一緒に話をした時間を集計するアプリでも
あったなら
ぼくの人生においては井川さんがダントツの1位。
その長さはもちろんですが
その中身の濃さ、気付きの多さ。
それは、井川さんが、自分とはまったく違う
タイプだからということも
大きく作用していると思います。
ゆえ、今の自分の大きな部分は
こうした井川さんとの関わりによって
できていると言って、過言ではありません。
現実は複雑です。
そして、その中で生きるヒトの心もまた複雑です。
ヒトが現実の複雑さに目を向けて生きるとき。
それは「物語る」ことでしか説明できないのです。
たとえば。
愛するヒトの「死別」と理不尽に直面させられたとき。
あなたは「なぜ、わたしがこんな目に遭うのか?」と思わずにいられるでしょうか。
そして「いったい、わたしが何をしたというのか?」と怒りを持たずにいられるでしょうか?
「わたしのセイだったのかもしれない」と責めずにいられるでしょうか?
たとえあなたがいかに打ちひしがれようと、
それでもあなたは残りの人生を生きていかなくてはいけないわけです。
そのとき、
「これからわたしは一人でどう生きていけばいいのかしら」と問わずにいられるでしょうか?
くよくよしてるあなたに、あなたの周囲はこう言うかもしれない。
「そんなこと考えても仕方がないよ。
何も考えずにただ、生きるのみ。
どうせ人間は、いずれ死んで灰になるのみなんだから」と。
そんなようなことを思ったり、忠告したりするヒトは少なからずいるものです。
しかし、それはボクから言わせれば、
不安の裏返し、ただ虚勢を張って見せてるだけ、
もしくは厭世的な心構えで人間をわかった気になってるだけ。
現実の複雑さに目を背けて、この世などなにもかも無意味なのだよという物語を生きる弱虫。
そんな風に、ボクは思う。
自分のそばに、今日も変わらずあのヒトはいてくれる。
やがて、自分も死んで、あの世で好きだったあのヒトにめぐり逢える。
だから、それまで、明るく、あのヒトの分まで生きよう。
あなたは自分の人生の脚本を書き、その物語を精一杯生きてください。
物語はけして、一部の小説家や脚本家のものではなく、
複雑な現実を生きるためには、誰にも必要なものなのですから。
辻褄なんか合ってなくていんです。
みんなから理解されなくてもいい。
強く非難されるかもしれないけど、それでもいい。
甘いファンタジーでもいい。
物語を馬鹿にしてはいけません。
物語ればこその、明るい人生なのです。