スマホが普及して、Localの定義が変わってしまいました。
あなたのそのスマホの地図が、あなたのLocalに変わってしまったのです。
だからたとえ同じ地域に住んでいるヒトであっても、
たとえ家族でさえ、スマホの中の地図がそれぞれ違うように、
まったく違うLocalに住んでいることになっているのです。
故郷のないボクにとっては、マメヒコがLocalであり、
マメヒコの常連さん、いかひこチャンネルをずっと見てくれてるみなさんが、
いわばご近所さんなのです。
コロナで学校さえもオンラインでいいとなれば、ますますそれは顕著になるでしょう。
〇〇市〇〇町などという地域の存在意義はさらに希薄となるでしょう。
そんなこというと、年寄は目くじらをたてて怒り出すかもしれません。
防災の観点とか言い出すかもしれません。
けれど、この流れはもう止められないのです。
スマホの普及でLocalが変わったというようなことを言いましたが、
実はLocalの消失なんて、とっくのまえからそうなのです。
自治会に入らないヒトが増えて困るとか、
町内会がまるで機能してないとか。
そういうことは日本中どこだってあるでしょう。
おかけで出生に縛られずに済んだヒトもいるのです。
それぞれ移住の自由が認められているんですから、
好きなところに住めばいいのです。
しがらみある地域にこだわる必要なんて無いのです。
地域よりもなによりも、まずはヒトありきなのですから。
ただ。
レッセフェールのパラドックス。
なんでもかんでも自由にしていいとしていれば、
それはそれで課題が見えてくるものです。
お金のあるところにだけヒトは集中してしまうからです。
だから新しくLocalを定義し直す必要があるんです。
そして一緒にLocalを作るヒトをボクは探しているのです。
小さなカフェは街に縛られてますからねー。
だからLocalについて、人一倍考えているのです。
廃坑になった炭鉱の町を歩いてみると、
かつてあったであろう映画館やカフェの面影をみつけることができる。
虚無、という言葉がよぎります。